最近、休日は家に籠ってばかりいた。そして何をしていたかと言えば、読書。
何を思ったかAmazonプライムに加入して、そしてKindle Unlimitedにも申し込んで、引き出しにしまっておいたKindleを引っ張り出してきて、いろいろな本をバンバンダウンロードして、ひたすら読みまくっていた。
そんな中、私へのおすすめとして表示されたのが『だから仏教は面白い!』という本だった。
そしてKindle Unlimitedの読み放題で読める本だからーと思い何気なくポチっとして、読んでみたら、これがとても良い本だった。
神社仏閣にお伺いするようになったことがきっかけで、仏教についてももっと知りたいと思っていろいろな本を読んでいたけれども、様々な本や文献に当たれば当たるほど「仏教は自己解体の哲学である(by レヴィ=ストロース)」と謂われるように、まるで自分の手には負えない何かに触れているかのような感覚を覚えた。
けれども『だから仏教は面白い!』と同作者の著書『仏教思想のゼロポイント: 「悟り」とは何か』という本も読んだところで、ようやく自分の中で何か納得するものを見つけられた、と言うような気持ちになり、再び神社仏閣へお伺いしようという気分になることが出来た。
今回お伺いしたのは、文京区にある吉祥寺というお寺。
曹洞宗 諏訪山 吉祥寺
太田道灌が江戸城築城の際、井戸を掘ったところ、「吉祥増上」の刻印が出てきたため、現在の和田倉門のあたりに「吉祥庵」を建てたのが始まりといわれる。
徳川家康時代に水道橋際(現在の都立工芸高校一帯)へ移った。
明暦3年(1657)明暦の大火で焼失し現在地に移転。
関東における曹洞宗の宗門随一の「旃檀林(せんだんりん)」がおかれ多くの学僧が学んだ。
第二次大戦でそのほとんどが焼失し、現在は山門と経蔵だけが往時をしのばせる。
~文京区 HPより引用
東京メトロの本駒込駅から徒歩数分のところに、そのお寺はあった。
曹洞宗 諏訪山 吉祥寺
本駒込駅からこちらに向かって歩いている最中にも、沢山のお寺があることに気付いたのだけれども、その中でも群を抜いて大きな山門がそびえ立つ、こちらの門構えに驚きを隠せなかった。
そして山門を潜り抜けると、本当に都内とは思えない程の静寂さが広がっていた。
こういう雰囲気大好きだーと思いながら、境内を歩いていると、お稲荷さんが御鎮座されていることに気付く。
駒込吉祥寺 茗荷稲荷
案内版には
駒込吉祥寺 茗荷稲荷縁起
当吉祥寺は明暦大火の際府内よりこの地に移り、家康公ゆかりの毘沙門堂脇の庚申塚に稲荷権現あり、寛文年間疫病まんえんの折祈願の人絶えず、特に痔病の根治に霊験ありとされ、茗荷を断って心願する者多し。
去る戦災に諸堂消失せるも昭和二十八年この地に再建、堂裏にある稲荷権現碑は下総国府台八十右エ門なる者が文久年間建立したものなり。
駒込吉祥寺
と書かれていた。
お稲荷さんということで、ちょっと躊躇したけれども、嫌な感じが全くしなかったので、お参りさせていただくことにした。
狐さん達にもご挨拶させていただき
こちらにお招きいただいたことに感謝してお参りさせていただいた。
そしてこちらのお稲荷さんの近くには八百屋お七・吉三郎の比翼塚というものがあった。
八百屋お七・吉三郎の比翼塚
その傍には六地蔵様。
六地蔵
そしてこちらの前に釈迦如来像があった。
釈迦如来坐像
『仏教思想のゼロポイント: 「悟り」とは何か』読後に見たお釈迦様のお姿は、ただ単純に尊敬の念しか感じることが出来なかった。
そして二宮尊徳の墓碑を見て、成田山に想いを馳せたりしながら歩みを進めていった
二宮尊徳の墓碑
鐘楼
そして本堂に辿り着いた。
本堂
本堂左手には観音様がいらっしゃった。
縁結び 吉祥観音
こちらの観音様にもお招きいただいたことに感謝してお参りさせていただいた。
そして本堂を守られている狛犬さん達にもご挨拶させていただいて
お堂の中に入ることは出来なかったので、本堂前でこちらにお招きいただいたことに感謝してお参りさせていただいた。
そして御朱印を頂戴した訳なのだけれども、御朱印を受ける間に近くの椅子に座るように促されたので、有難く座って待たせていただいた。すると、お寺の係りの方が冷えたほうじ茶とお菓子で御接待下さった。
今までイロイロな神社仏閣で御朱印をいただいてきた訳だけれども、御朱印を受けることでここまでの対応をして下さったところに出会ったことが無かったので、本当に恐縮してしまったのと同時に、ますますこちらのお寺の好感度がアップした(←単純だなぁ、ワタシ)
お礼を述べて受付を後にして、再び境内を歩く。
そして経堂に辿り着いた。
経堂
お守りされている独特の姿の狛犬さん達にご挨拶させていただいた。
そして山門方面へと戻る道すがら、川上眉山の墓という案内版が目に入った。
川上眉山の墓
私は不勉強なので、この「川上眉山」という方の存在を知らなかったので調べてみたら
明治19年硯友社同人となり、「我楽多文庫」に「雪の玉水」を発表、美文家として鳴らす。
以後「老人若水」、23年「墨染桜」、25年「青嵐」など人生探究、社会批判の作品で地位を築き、続いて「蔦紅葉」「かがり舟」などを発表。26年頃から「文学界」に接近し、浪漫的傾向を深める。
28年反俗を描いた観念小説「大盃」「書記官」「うらおもて」を発表。29年中央新聞に入社するが間もなく退社し、放浪生活に入る。35年「無言の声」「野人」、36年「観音岩」「二重帯」を発表して復活するが、41年突然自殺した。
他に紀行「ふところ日記」など。「川上眉山全集」(全7巻 復刻版 臨川書店)がある。
~コトバンク より引用
という人だったことを知る。
こういう風に知らなかった人の存在を知るということも、縁、なのだろうと思った。
全ては縁。
そして山門へ向かうと、お盆過ぎと言う事もあって暑さが幾分和らいだ中、蝉の鳴き声が響くその世界は一種の無常を表しているかのように感じてしまった。
そんな世界観を感じられる、都内とは思えない程の静けさに包まれて、言い様の無い安堵感と共に心落ち着いている自分が居た。
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