旅行最終日は14:00伊丹発のフライトで東京に戻る予定だった。
なので当初住吉大社の参拝時間は1時間程を見込んで、その後に当初お伺いしようと思っていたお寺に行こうと考えていたけれども、楠珺社でお話させていただいたことで参拝予定時間は大幅にオーバーしていた。けれども、当初お伺いしようと思っていたお寺さんにお伺いしなくてもイイヤと思える程の満足感があった。それならいっそのこと、住吉大社を満喫しようと思い、境内をくまなく歩く事にした。
楠珺社を後にして、境内を散策。
新宮社
住吉大社の東側にある旧熊野街道には熊野神を拝むために、一里ごとに熊野三所権現が祀られていて、その「熊野九十九王子」の一つ「津守王子」がこちらの新宮社であるといわれているとのこと。
八所社
京都の八坂神社の祇園信仰のお社ということで、素盞嗚尊さまがお祀りされている。
今主社
御祭神は国助霊神 (第48代・津守神主ー 住吉大社の歴代宮司の一族)であり、生前より霊感が異常にすぐれていたと言われているそうでして。
斯主社
こちらの御祭神も津守神主である国盛霊神 (第43代・津守神主)で、住吉大社の神職でありながらも、ほかの神社の仕事も兼務するなど、さまざまに活躍し、有徳敏腕の人だったと言われているそうです。
薄墨社
こちらの御祭神も津守神主である国基霊神 (第39代・津守神主)であり、和歌の名手として誉れ高かったと言われており、その秀歌により「薄墨神主」と讃えられたということ。
招魂社
五社
と、ちょっと歩いただけで、様々な神様が祀られていた。
くまなく回っていたつもりだったけれども、『住吉信仰―いのちの根源、海の神』に載っている境内図を見たら、后土社と星宮にお伺い出来ていなかったことに気付いた(爆)
そして神宮遥拝所へ。
神宮遥拝所
そして御文庫の前を通り過ぎて道なりに進むと
御文庫
種貸社に辿り着いた。
種貸社
初辰日には、やはり倉稲魂をまつった種貸社にも御詣りします。「種貸」には、もと稲種を授かるという信仰が、稲種が穀童、すなわち子宝を授かる信仰となり、子どもに恵まれない夫婦が子授けを祈って「種貸人形」を受けて帰り、さらに神さまから授かったお金を資本に加えて商売すれば増殖繁栄するとの信仰となり、「お種銭」を受けてご祈祷をすることもこの社の特色です。
~住吉信仰―いのちの根源、海の神 より引用
というお社だった。
どうやら私は初辰日参りのルートとは逆ルートで回っていたことに、今更ながら気付いたりして(爆)
手水で清めて
こちらにお招き頂いた事に感謝してお参りさせていただいた。
そして右側奥にもお社があったので、そちらにもお邪魔する。
海子士社
児安社
そして種貸社の裏に回ると、なんとも微笑ましい像があり、こちらの像の前に立つだけでほっこりと和んだ気持ちになれた。
子を想う母の優しさ、とでもいうのでしょうか。
これらのお社でもお招きいただいたことに感謝してお参りさせていただいた。
そして志賀神社にもお参りさせていただく。
志賀神社
こちらの辺りは、海を感じさせる神様が多くいらっしゃるところだった。
ツツノヲ三神とともに出現したワタツミ三神(底津少童命・中津少童命・表津少童命)は志賀海神社にまつられ、海人族である阿曇氏の奉じたところでありました。この神が大海神社の傍に摂社としてまつられているのは、ワタツミ三神も海の神でありますから、ツツノヲ三神と表裏一体の神としてよいでしょう。
~住吉信仰―いのちの根源、海の神 より引用
ということ。
そして住吉大社と言えば、こちらにお伺いしなくてはという神社に到着した。
大海神社
本社の北側に鎮座する大海神社は、第一の摂社で、祭神を豊玉彦・豊玉姫としています。本殿は本社と全く同じ形式の住吉造りで重要文化財に指定されています。
『延喜式』神名帳には「大海神社 二座」とあり「津守氏人神」と注していますが、『住吉大社神代記』には、子神条に「津守安必登神」があり「二前、海神と号く」と注していて、これが大海神社に察せられますから、『延喜式』の「氏人神」とするのは「安人神」の校訂の誤りであろうということです(田中卓氏)
豊玉彦・豊玉姫は海幸山幸神話の海宮の竜王とその女(むすめ)でありました。津守氏が氏神として奉じていたところで、手搓足尼の嫡子が大領氏を称して大海神社に仕えました。
社前の井戸は「玉の井」と称し、山幸彦が海神より授かった潮満玉を沈めたと伝えます。
~住吉信仰―いのちの根源、海の神 より引用
というお社だったりする。
住吉大社の摂社とは思えない程、一つの立派なお社としての優雅を誇っているかのような存在感を感じつつ、こちらにお招きいただいたことに感謝してお参りさせていただいた。
玉の井
予想以上に沢山お参りさせていただいたなぁと思いながら、住吉大社の本宮方面に戻る。
そしてお守り等授与所で御朱印を頂戴して、境内図を確認すると、まだまだお伺いしていないお社があることに気付いたので、そちらに向かって行った。