元三大師堂を出たら、入れ替わるような格好で団体の観光客の姿を目にして、お伺いするタイミングが良かったことを知る。
私は修行が出来ていないので、お参りしている最中に横でお喋りなどをされると集中出来ないもんで。。。
そして元三大師堂前にある比叡山横川道元禅師得度霊跡へと向かう。
比叡山横川道元禅師得度霊跡
こちらにお伺いした時にも誰も居なかった。
再びお招きいただたことに感謝してお参りさせていただく。
静寂の中、一人こちらの前で佇んていると、やはり永平寺のことを思い出している自分が居た。
私が神社仏閣巡りを始めて、初めて大きな霊場と言われるお寺にお伺いしたのは、高野山だった。
そしてその時に金剛峯寺で行われていた僧侶によるワークショップを受けた。そのワークショップの中で、高野山の修行について僧侶が語っていた際に、高野山の修行も厳しいけれども、永平寺に比べれば、、、という話を聞き、永平寺という場所について興味を持ち、そして、永平寺について調べていたら、宮崎奕保禅師様という偉大なお方の存在を知った。
その宮崎奕保禅師様について書かれていた本『坐禅をすれば善き人となる―永平寺宮崎奕保禅師百八歳の生涯』を読んで、その本の中に描かれていたキセキレイという鳥が、自らに与えられた使命を生きているという姿に感銘され、そして、私もキセキレイのように生きたいと思って願い、このブログのタイトルも『キセキレイスタイル』としたし、キセキレイと言う名前でブログを書くことにした。
そうして全国各地の神社仏閣を巡るようになり、思わぬ土地で道元禅師様の足跡に触れることもあったりするのも、何かのご縁なのだろうと感じる。
人として善い事をするのは当たり前だという、3歳児でも分かるような簡単なことこそ、実行するのは難しい。
現代社会では善き人になろうと思い、人に施しを与えると、その施しが当然のものとされ、利用されるという面がある。例えば、自身の権利を主張して仕事をしない人には、仕事が振られない代わりに、どんな仕事を振っても断らない人には、矢継ぎ早に仕事が振られると言ったようなこと。
自分の権利を主張する人ばかりが幅を利かせているようなこの世界というものを、以前は理不尽だと感じていたりしたけれども、よくよく長い目で見れば帳尻が合うということを、ある程度生きていると目の当たりにしたりする訳でして(←自分の権利ばかり主張していた人の行く末なんかを知ったりして)
やはり、俗世間で生きていくということも、一つの修行なんではないかと思えるようになってきた。
坐禅はただただ坐ると言ったが、また、ただ坐上の修のみにあらずともいう。ただ坐っておるだけが坐禅じゃない。どういうことかというと、坐禅をしておるときの気持ちが平生の気持ちである。
だから、坐禅は身体が坐るだけではなくてすべてが坐っておる。腰が坐る、目が坐る。ほうきを持って掃除をするのも坐禅だと。それが理解出来たら商売するのも坐禅、教育するのも坐禅。坐禅とはそういうものだと。
それがなかなか理解しにくいんです。
~『新編・若き仏たちへ』より引用
いろいろな気付きを与えていただいたことに感謝して、道元禅師得度霊跡を後にした。
バスの時間まではまだちょっと時間があったので、前回、そして前々回お伺い出来なかったところへ向かった。
恵心堂
なんでもパワースポットと言われているという場所だったけれども、、、すみません、私こちらでは特段、何も感じることができませんでした。
やっぱり前回・前々回にお伺い出来なかったということを考えると、私にはこちらにお伺いする必要はなかったのだと思いつつ、、、
そして虚子の塔にもお伺いする。
虚子の塔
こちらでお招きいただいたことに感謝してお参りさせていただく。そして、私の文章能力も向上するようにお願いしてしまった(笑)
高浜 虚子(たかはま きょし、旧字体:高濱 虛子、1874年(明治7年)2月22日 – 1959年(昭和34年)4月8日)は明治・昭和期の俳人・小説家。本名は高浜 清(たかはま きよし、旧字体:高濱 淸)。
ホトトギスの理念となる「客観写生」「花鳥諷詠」を提唱したことでも知られる。
~Wikiより引用
そして横川中堂で、最も美しい横川の観音様に再びお参りさせていただき
とても美しい横川を後にした。
そしてバスに乗車して、東塔エリアへ。
もうこの時点で16時を過ぎていたので、慌てて大講堂へと向かう。
大講堂
こちらで大日如来さまにお参りさせていただき、そして道元禅師さまの像の近くに掲げられている宮崎奕保禅師様のお言葉を見て、再び涙し
鐘楼を横切り
登天天満宮にもお参りさせていただき
根本中堂へ。
根本中堂
前回お伺いした際とは違って、半分工事しているような格好だった。
そして根本中堂の中にお邪魔して、再びこちらにお招きいただいたことに感謝してお参りさせていただいた。
拝観の時間はこの時期だと16:30までと言う事で、やっぱり比叡山諸堂を巡るには、一日じゃ全然足りないこということを悟る。
そして、ケーブル延暦寺駅まで戻りケーブルカーに乗車した。
またいつか、この素敵な土地にお伺い出来る日を夢見ながら。