向かったのは横川。
比叡山延暦寺の根本中堂に近い受付で拝観料を支払い、そのまま延暦寺バスセンターへと向かう。
横川行きのバスがタイミングよく到着したので、そのままそのバスに飛び乗り、横川へと向かう。
横川は比叡山延暦寺の中でも、とても好きな場所だったりする。
今年の4月と5月にお伺いした時と比べて、紅葉シーズンということもあるのか、参拝客の姿が多かった。
途中道元禅師さまの案内版を見て、道元禅師さまへの想いを馳せつつ
龍ケ池弁財天さまにもお参りさせていただき
殆どの参拝客はそのまま右に曲がり、横川中堂へと向かうのだけれども、私はいつも真っ直ぐに進んでしまう。
それは、やっぱり真っ先に元三大師さまにお会いしたいから。
元三大師御廟へ向かう人は、殆ど居ない。
最初に来た時には、この道で良いのかしらん?と恐れおののきながら歩いていたことを思い出したりして。
本当に人が居ないので、山中に居る鳥の鳴き声くらいしか聞こえてこない。
けれども、こういう空間を一人歩くことで、いろいろと自分を見つめなおすことが出来る。
そういう時間が私にはとても必要だ。
誰かと一緒に旅行に行って、楽しく神社仏閣に参拝することも、それはそれで良いのだと思うけれども、私が求めているのはそういうものではないし、こういった静寂の空間に身を置く事で、自分を整えることが出来ると、実感している。
それは自分の中にもいらっしゃる神様や仏様と対話しているということだと思っているから。。。
目に見えないだけであって、本来一人一人に、お守りいただいている存在というものは必ず、いらっしゃる。それを神様や仏様と言うのかも知れないけれども、日々の生活の中で「気」や「心」が穢れてしまい、そういった存在に気付くことなく生きているという人が大半なのだろうとは思う。
昔の自分も、そうだったように。
そして元三大師御廟に到着した。
やはり何時行っても、綺麗に掃き清めていて、そして甘い香りが漂ってくる。
そして今回もこちらにお招きいただいた事に感謝してお参りさせていただいた。
誰も居なかったので、心ゆくまでこの地で過ごす。
そして、こちらに前回お伺いしてから起こった身の周りの変化についてご報告したり、甘えた気持ちで、ちょっと弱音を吐いてみたりした。
私はやっぱり自分というものを、そんなに好きになれないということについて語ってみたりして。。。
気のせいなのかも知れない。
けれども、自分をそんなに卑下する必要はないというメッセージを頂戴する。
そして、このブログを書いているということにしたって、自分だけで書いているつもりかも知れないけれども、そうでは無く、いろいろな人々の好意により書かせていただいているということを教えて頂く。
単なる神社仏閣参拝記のようなこのブログでも、とても多くの皆様に読んでいただき、そして、コメント欄も設けていないのに、お問い合わせフォーム経由で沢山の素敵な感想やお言葉を頂戴出来ているということ。
例えば、海外に住んで居るので神社仏閣にお伺い出来ない代わりに、私のブログを読んで神社仏閣にお伺いしているような気分になれる、といった感謝のメールや、今回旅に出る前に直前に、素敵な旅になるようにと言ったメールを頂戴したこと、そして、今回比叡山にお伺いするきっかけとなるような情報をいただけたということ。
これ以外にも、毎日ブログをチェックしていただいている皆様など、それはそれは沢山の人々の好意を受けつつ、自分を好きになれないというのは、自分自身を否定すること、そしてそれは自分自身の中にいらっしゃる神様や仏様を否定することにもつながるということを、教えていただけた(ような気がした)
元三大師様は、本当にお優しい。
半泣き状態になりながらも、元来た道を戻る。
参道に佇んでいる仏様はとても優しく微笑んで下さり
この静寂の道を歩いた。
そして元三大師堂へと続く道に戻り
元三大師堂へと向かった。