【その11】桧原神社&玄賓庵  6th Nov, 2013

山の辺の道を歩く。狭井神社から徒歩20分程度ということで、お気軽なお散歩気分でレッツゴー♪

山の辺の道

途中「八大龗王弁財天大神龗神神社という看板を見つけるものの、何故かここの神社は大神神社から御朱印頂いた時に貰ったリーフレットにも記載がなかった。それに特に呼ばれなかったので、そのまま道を進む。

すると玄賓庵というところに差し掛かる。

玄賓庵入り口

玄賓庵(げんぴんあん)というのはWikiによると

桓武・嵯峨天皇に厚い信任を得ながら、俗事を嫌い三輪山の麓に隠棲したという玄賓(げんぴん)僧都の庵と伝えられる。世阿弥の作と伝える謡曲「三輪」の舞台として知られる。かつては山岳仏教の寺として三輪山の檜原谷にあったが、明治初年の神仏分離により現在地に移された。

ということだった。

そして、世阿弥の『三輪』を調べていたら、Wikiで三島由紀夫の母の平岡倭文重氏の項目にたどり着く。

『三輪』では、杉の木陰から声がして、玄賓僧都の前に女人の姿の三輪明神が現れる。三輪明神は、神も衆生を救う方便としてしばらく迷いの深い人の心を持つことがあるので、罪業を助けて欲しいと訴える。三輪の妻問いの神話を語り、天照大神の天の岩戸隠れを物語って、夜明けとともに消えてゆく。謡曲『三輪』は、「夢の告、覚むるや名残なるらん、覚むるや名残なるらん」(現代訳:夢のお告げが、覚めてしまうのは、実に名残惜しい、まことに名残惜しいことだ)という美しい詞章で終わる。この詞章は、三島の遺作『豊饒の海』の大団円に通じる

ここでも『豊穣の海』が出てきた。伊勢で乃木将軍夫人のことを思い出したのも、そういう事だったのかと今思った。

少し歩くと、滝があり不動明王様等がいらっしゃり、滝を撮るとオーブが出た。

玄賓庵横  玄賓庵の滝

不思議な気持ちのまま、ほとんど人がいない道を歩く。

そしてようやく桧原神社にたどり着いた。

桧原神社1

と正面からの到着ではなかったので、今一度正面から入りなおす(笑)

桧原神社2

こちらはスッキリとした印象の神社。山の辺の道をハイキングしてきた人が休憩する場所でもあるみたいで、みなさんお弁当を広げてくつろいでいた。その中一人で真面目に参拝している私は思いっきり浮いていた、けれどそんなの気にしない。だって元伊勢に来られたんだもーん!っていう喜びのほうが大きかった!

桧原神社3

桧原神社4

桧原神社6 桧原神社5

桧原神社8 桧原神社9

御朱印も頂き、また今来た道を戻る。

行きは玄賓庵を通り過ぎただけだったので、帰りは中を見学させて頂く事にした。

玄賓庵6

入り口のところに賽銭箱があるので、気持ちの拝観料を入れて中に入る。平日というせいなのかも知れないけれど、誰も居なくって貸切状態だった。

玄賓庵1  玄賓庵2

玄賓庵3 玄賓庵4

山側 の斜面に八大竜王さまが祀られていた。金剛證寺のことをふと思い出す。

玄賓庵5

玄賓庵見学の後、八大龗王弁財天大神龗神神社の看板を再び見て、ついでだから寄って行こうかしらん?と足を向けたが動けなくなったので、行くなということだと思って、そのまま大神神社方面に進んでいく。

山の辺の道を歩いているとなぞの石仏、、、

謎の

やっぱり三輪山って奥が深いなぁと思いつつ、次の場所に移動した。

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