東大寺~不動堂etc 16th April, 2014

三月堂のすぐそばに神社があります。

手向山八幡神社

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天平勝宝元年(749年)東大寺及び大仏を建立するにあたって宇佐八幡宮より東大寺の守護神として勧請されたという神社。2月に宇佐神宮に行った後に、こちらにお伺いすることになるというのは、何か意味があるんだろうと思いつつ、参拝させて頂いた。

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その後不動堂へ

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不動堂

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この辺はあまり人が来ない場所みたいで、私がお伺いした時にも外国人観光客が数名歩いている程度だった。お参りした後、社務所があったので、ご朱印をお願いした。ご朱印を書いて頂いている間に社務所後方を見ると、滝行場らしきものがあった(外からは見えないようになっている)東大寺で滝行?と思い社務所の人に聞いてみると、確かに滝行場ということで、信者さんが使用するものとの事だった。

東大寺でも滝行をやっているって知らなかったデス。。。まぁ一般の人は受け付けてないみたいだけれど。

ご朱印を頂いた後、山手観音堂方面に進むと、穏やかな観音様。
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飯道神社

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飯道神社の案内版には、”熊野本宮より勧請された修験道の霊場でもある”と書かれていた。東大寺にお伺いしている時は分からなかったけれど、東京に戻って調べたら、東大寺と修験道というのは深い関わりがあったということで、この後の旅の事を考えると全くもって不思議な気持ちで一杯。

修二会の本行の行われる14日間、全国の神さまの名前を書き連ねた「神名(じんみょう)帳」というものが読み上げられます。

およそ14,000箇所の神さまがこの神名帳に書かれているのですが、一番はじめに記されているのは、「金峯大菩薩(きんぷだいぼさつ)」。修験道のご本尊「金剛蔵王権現」さまのことだそうです。

なぜ神名帳の一番はじめに読み上げられるのかはわかっていないそうですが、東大寺と吉野山の修験道との間には、深い関わりがあったと考えられているそうです。
~ホテル日航奈良 オフィシャルブログ より引用

山手観音堂

こちらはとっても落ち着いた場所。人もほとんど来ないし、落ち着いてお参りが出来る。

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遠敷神社

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そして三月堂方面に戻ると

法華堂経庫

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鐘楼

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俊乗堂

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大仏殿方面に戻る。この風景素敵ですね。

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指図堂

こちらは法然上人二十五霊場との事。東大寺というのは華厳宗のハズなのに、何でこうもいろいろな宗派が入り混じっているんだろう?、と東大寺に居る時は頭がこんがらがっていたけれど、家に戻って調べてみたらWikiには下記のように書かれていた。

奈良時代のいわゆる南都六宗(華厳宗、法相宗、律宗、三論宗、成実宗、倶舎宗)は「宗派」というよりは「学派」に近いもので、日本仏教で「宗派」という概念が確立したのは中世以後のことである。そのため、寺院では複数の宗派を兼学することが普通であった。東大寺の場合、近代以降は所属宗派を明示する必要から華厳宗を名乗るが、奈良時代には「六宗兼学の寺」とされ、大仏殿内には各宗の経論を納めた「六宗厨子」があった。平安時代には空海によって寺内に真言院が開かれ、空海が伝えた真言宗、最澄が伝えた天台宗をも加えて「八宗兼学の寺」とされた。
wiki 東大寺より引用

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旅行に行く前に、ある程度は調べて東大寺に行ったつもりだったけれど、実際に足を運んでみないと分からない事もたくさんあった。そして、現地を訪れたからこそ「どうしてなんだろう?」と疑問に思ったことを、旅行が終わった後に調べてみたりするのも、旅の楽しみの一つなんだろう、って思った。

<追記>
東大寺の御朱印はこちらにアップしています→御朱印これくしょん-その2(仏閣編)

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