前回の旅行を経て初心に戻らなくてはという気持ちになり、今は禅に関する本を読み直している。
そもそもこのブログのタイトルも宮崎 奕保禅師様に影響されて名付けたものだったこともすっかり忘れてしまった程いろいろなことが起こって、自身の芯となる考え方もすっかり抜け落ちていた。
今一度禅寺にお伺いしその凜とした空気に触れてみようと思い、今回は平林寺(金鳳山 平林禅寺)へ行ってきた。
紅葉で有名な禅寺ではあるものの、アクセスがあまり良くないので参拝客は少ない。
しかし紅葉シーズンは多くの人で賑わうことも知っていたので(クラブツーリズムなどの旅行会社のツアーに組み込まれる程)まだ人出がそれほどでもないと思われるこの時期に行っておきたかった。
山門をくぐり境内にはいると、多少色づいている程度。
しかし場所によっては紅葉している部分もあり、グラデーションが美しかった。
僧堂近くにある看板の文言にいつもハッとさせられる。
前回お伺いした時とは比べ物にならないくらいの人が訪れていたけれども、それでも静寂さは保たれていて、鳥の囀りや僧堂から聞こえてくる雲水さん達の読経など、確かにここは禅寺であるということを感じることが出来た。
過去を引きずって歩くということは、仏法ではないということ。
人は時として終わってしまった過去のことを思い煩い、また先のことに対して不安になってしまう。
心はコロコロと絶えず揺れ動くけれども、時間は刻々と過ぎて行き「今この一瞬」という尊き時間を疎かにしてしまう。
これらのことは知識としては蓄えていたはずなのに、実生活に全く生かされていなかったことをここ数年の一連の出来事での自分の対応で思い知った。
バスツアー客などが多く入山してきたので、おいとますることとした。
総門を出て、ちょっとお土産らしきものでも購入しようとバス停前の「ひるねの森 竹映」さんを覗いてみたら「禅語こよみ2024」という来年のカレンダーが販売されていた。
このカレンダー来年が辰年ということで、禅宗寺院の法堂や本堂の天井、襖などに描かれた龍図と、禅語を掲載しているものだったので思わず即購入してしまった(家に戻って調べてみたらAmazonでも販売されていたけれど、こちらで見かけなかったらこのカレンダーの存在にも気づかなかったので、こういうのもご縁なんだろうなぁと思ってしまった)
そして帰りのバスを待っている間、ふと総門横に書かれていた文字を目にすると
無
なにも無いのではない
すべてをなげ出したところから始まる
と書かれていた。
信じていたものから離れ正直途方に暮れていたけれども、この文言を見て、ここからまた始めれば良いのだとのお諭しなのだと思えた。