外宮到着は平日の朝8時台。
観光バスなどは駐車場にとまっていなかったので、参拝客はそんなに居ないかも?と思いながら手水で清め
鳥居を潜る
参道を歩くと、足元に響く玉砂利の音が心地よく、歩いているだけで何か祓われるような気分になった。
御正宮前に到着。
南宿衛屋へ向かい、御垣内参拝をお願いする。
御垣内参拝も6年ぶりなので、仕様が変わったりしていないか不安だったけれども、作法は全く変わっていなかったので安心したし、ご案内いただいた神職の方はとても丁寧にご対応下さった。
何より6年ぶりにまたお参りさせていただけたことに感謝の気持ちしかなかった。
感謝の気持ちを捧げ、そして世界が平和でありますようにと祈った。
多賀宮へと向かう。
地蔵石さまもお元気そうで何より。
多賀宮に到着。
再びこちらにお招きいただいたことに感謝してお参りさせていただく。
伊勢神宮は、御正宮では感謝を捧げ、個人的な祈りは荒御魂が祀られている御宮(外宮なら多賀宮、内宮なら荒祭宮)で、と言われている。
昔は何も考えずにそういうものなのだから、と参拝していたけれども、大きなお祈り(感謝をささげる)の後に小さな祈り(個人的な祈り)をするような道順になっているのは改めてすごいと思ってしまった。
祈りというもの、それはまず第一に世界が平和であるようにと祈る事や感謝を捧げて祈る【大きな祈り】をすることが重要で、その大きな祈りをしなければ個人的な【小さな祈り】は叶わないとも言われている。
それに個人的な小さな祈りが叶ったところで、自分一人だけが幸せになって周りが不幸でも良いというのはそれこそ鬼畜の所業、悪魔の考え方でしかない。
伊勢は自ずと人々の全ての願いが叶えるように仕掛けられている、という考え方は大袈裟なのかもしれないけれども、そんな風に感じられた。
多賀宮を後にして、下御井神社・土宮・風宮にもお参りさせていただいた。
三ツ石も写真に収めたかったけれども、我欲丸出しで手をかざしているスピっぽいグループがいたので諦めた(こういう人たち未だに居るんですね)
四至神様にもご挨拶させていただき
大津神社・度会国御神社にもお参りさせていただいた。
久方ぶりに一人で静かな場所を歩いていると、昔の気持ちが蘇ってきた。
神社仏閣に一人で行くのが好きだったのは、誰にも邪魔されず神様とお話しができていたから。
こう書くと「神様とお話なんて言ってるよ(笑)」という声が聞こえてきそうだけれど、今思うと、神様とお話ししていたと思っていたのは、自分の中に居る神様がそれぞれの地にいらっしゃる神様と感応して、思いとして溢れ出たものだと。
あの頃は知識や余計な入れ知恵がなかった分、無垢な子供のように純粋に神様のエネルギーを感じられてた。
仏教や瞑想などでは無になることの重要性を説いているけれども、どうでも良い知識や雑音は人を縛るし苦しめる。
何で今回突然伊勢に行こうかと思ったのだろう?と、今でも不思議に思っているけれど、自分の中の神様が伊勢に行くように導いてくださったのだと思うしかない。
そして外宮を後にして、バスで内宮へ移動した。