修験道開祖・役行者様のお母様「白専女(しらとうめ)」を祀る母公堂

すずかげの道を進み、嫁ヶ茶屋前を通過。

ここから坂を降りてすぐのところに蟷螂の窟があるのだけれども、ここは何故か気軽に行ってはいけないような気がするので、今回もお参りはご遠慮した。

貝初(延命)地蔵様にはお参りさせていただき

再びすずかけの道を進んでいく。

ここから4分程度歩いたら、ごろごろ水採水場に差し掛かる。

そしてそのまま進むと

ごろごろ水に到着。

登山の人以外この辺りまで来る人はあまり居ないので、とても静かな場所。

そしてその静かな場所では、本当にお水が「ごろごろ」と聞こえてくるのは不思議であり、その水の音は暑い最中一種の清涼感をもたらすものでもあった。

*前回訪問の際、動画撮ってたのでよろしければご覧くださいませ。

ごろごろ水

:

そして、前回時間が足らずにお伺い出来なかった母公堂に向かって歩く。

今回は何故かこちらにとてもお参りがしたかった。

ごろごろ水から母公堂に向かって歩いていると、次第に空気感が違って感じられた。

何かが護っているというべきか、そんな気が漂っている。

そして母公堂に到着。

女人結界の碑があるけれども、現在は大峯山遥拝所(清浄大橋)が女人結界だという。

大峯山の女人結界は母公堂からでしたが、戦後、山林作業に従事される女性の方が多くなり結果的に女人結界門を越えて仕事に出掛けざるを得なくなってしまいました。

地域の暮らしと信仰を守っていくために、大峯山詣での八つの役講と、龍泉寺、信徒総代、地区の長老たちが、度重なる協議の結果、昭和45年に現在の清浄大橋のところまで約1.5キロ、大峰山側へ結界門を移動することになりました。これによりバスガイドさんや林業従事の女性の往来が可能となりました。

洞川温泉観光協会HPより引用

こちらにお招きいただいたことに感謝してお参りさせていただいた。

するとニコニコ笑顔のおじさまからお声がけいただいた。こちらのお堂の堂守をされている方だという。ご親切にお堂についてご説明くださった。

母公堂については、洞川温泉観光協会様のHPがよく分かると思うので引用。

今から1300有余年前の白鳳年間、役行者という山岳修験者が、熊野本宮から大峯山脈を南から北の大峯山(山上ヶ岳)に向かい修行をしていました。

この修行を案じた役行者の母、渡都岐(とつき)白専女は、役行者の弟子・後鬼の案内で葛城山の麓、茅原から険しい峠や山河を越えて、役行者が山籠りして修行している大峯山に一番近い、洞川の蛇ケ谷まで会いに来ましたが、この谷を渡ろうとすると、一匹の大蛇が行く手を阻み、どうしても渡ることが出来ません。後鬼と替わるがわる何度試みても駄目でした。

弟子の前鬼を通じてこのことを知った孝行心の篤い役行者は、悩みに悩んだ末、このままでは母は私を心配して命の危険な山中を何処までも心配して追っかけて来る。蛇ケ谷に庵を建て母に住んでもらい、身の回りのことを後鬼に頼み、私自身が時々母を訪ねることにすれば、母も安心して留まってくれるだろう。早速、洞川の人たちに頼んで母の庵を建ててもらい、母公堂と庵の名を付けました。

また、その際に重ねて母を思う心から、母が後を追わないようにと「女人入山禁止の結界門」を建てました。これが「女人禁制」の始まりであり、一千三百有余年後現在も守り続けられている歴史の重みであります。これは「女性差別的」な解釈でなく、役行者の母を思う優しい心の現れであると、私ども後鬼の子孫は考えています。

洞川温泉観光協会HPより引用

一番びっくりしたのは、こちらのお堂に飯綱権現様がお祀りされていたこと。

白専女様の優しさと堂守の方の優しさが相まって、とても暖かいものに包まれた雰囲気に満ちたお堂だった。そして分かる人はこちらの凄さが分かるのだろう。

堂守の方と長い間お話しさせていただいた。一介の参拝客に対してこれ程時間を割いていただいたことに感謝して、母公堂を後にした。

私は女なので大峰山には登ることは出来ないけれども、稲村ヶ岳ならば女性でも登山可能なので、いつか稲村ヶ岳に登ることが出来たらと思う。

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