御廟の橋から先は写真撮影禁止。
燈籠堂の入り口に以前は塗香が置いてあったのだけれども、今回は置いていなかったのは何か変更があったのかしら?と思いつつ、お参りさせていただき、護摩木を奉納させていただいた。
その後弘法大師御廟と奥之院燈籠堂地下法場それぞれにお参りさせていただく。
般若心経等を唱え、祈りを捧げた。
『聖天信仰の手引き』という本にはこのような記載がある。
弘法大師作(真言宗の開祖)の仏像は、昔から衆生縁が厚いと言われているように、それを祀ってあるお寺には非常な参詣人が集まる。これに対して伝教大師作(天台宗の開祖)の仏像は、同じ高僧の作であるにかかわらず、あまり参詣人が集まらない。これなども、弘法大師が常に衆生済度を、直接の目的に造像なされておったに対し、伝教大師は鎮護国土の目的以外に、あまり造像されなかったことが、反映しているのであろう。
〜『聖天信仰の手引き』より引用
信じるか信じないかは個人の判断にお任せしたいと思う。
奥之院に再びお参りできるように願いながら、一の橋を目指す。
一の橋までの参道を歩き、休憩ということで一の橋近くにある喫煙所でタバコを吸っていたら、関西から来たというおじさまから声をかけられた。
私が御廟と奥之院燈籠堂地下法場でお経を唱えていたのを見ていたらしく、お経唱えられるんですなぁ、と言われたので、下手くそですみません、と謝ったら、いやいや感心しとったんですわーと。
自然な流れで何処から来たのか?という話になり、東京から来たこと、そして今回高野山にお伺いしたいきさつなどを話すと、おじさまは空海様の偉大さを力説され、そして知人の方が空海様に救われたエピソードをお教えいただいた。
そのエピソードは私の想像を超えた壮絶なもので、その状況から這い上がり、現在普通に生活できていることは空海様のお救いだと断言されていた。
まさに奇跡ですわ、と。
貴重なお話をお伺いできたことに感謝して、この後の道中もお互い楽しく過ごせるようにと挨拶してその場を離れた。
南無大師遍照金剛