善い心を起こしたら

外出自粛中とは言え、そろそろ神仏のお供えのお菓子を新しくしなくてはと思った。

デパートは営業していないので、スーパーで買える和菓子で間に合わせようかと思ったけれども、徒歩で行ける和菓子屋さんに行ってみたら営業されていたので、美味しい和菓子を手に入れることが出来た。

こんなご時世なので、お客さんは少ないのかと思いきや、ちらほらご近所の方が買いにいらしていた(きちんとソーシャルディスタンスは保って並んで)

やはり美味しいお菓子は、心の栄養を保つ為にも必要なのだと思いつつ帰路に着く。

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ここ最近は、在宅勤務でほぼオフィスにも行っていないし、外出自粛ということもあり、休日に出かけることも無くなり、一人で居る時間が異様に増えた。

その分、自分自身と向き合う時間が増えたとも言える。

今日は、久しぶりに『永平寺 「104歳の禅師」・「修行の四季」』の2枚組DVDの内、「修行の四季」を見た。

修行に打ち込んでいる雲水さん達の姿を見て、禅と言うものは、自分自身と向き合う方法を教えてくれるものだと言うことを改めて実感した訳で。

そして永平寺と言えば、私の中ではイコール宮崎禅師様を思い浮かべてしまう位、私は宮崎奕保禅師様を尊敬している。

このコロナ騒動が起こった際に、真っ先に思い浮かんだのは『坐禅をすれば善き人となる―永平寺宮崎奕保禅師百八歳の生涯』の中で、宮崎奕保禅師様がおっしゃっていたこのお言葉だった。

そして、宗教家の一人として、世の中の行く末を心の底から案じていた。その思いをある時、次のように語った。

「今、私とあんたと話ができるのは、なんでやと思う。お互いに話を聞いて、それが、なんで分かるんやと思う。今、私とあんたと話ができるのは、電波やで、これは。私がものを言うて、あんたの耳に入って、頭に入っていくのは、皆、これ電波だ。

科学が進歩して、今はそれが証明できておるやろう。だから、今、私が話をしていることは、ドイツでも、アメリカでも、イギリスでも聞こえるんや。そういう機械を備えたら。しかし、本当は機械を備えんでも聞こえるんや。

目には見えないが、本当はこの空間には、電波が満ち満ちとる。例えば、誰かが悪い心を起こしたら、悪い心の電波が起こっとんのや。逆に、善い心を起こしたら、善い電波が起こるんや。目でそれは見えんけれども。

そして、目で見えんけれども、悪い電波が世の中に満ち満ちたら、災いが起こるのは当たり前や。反対に善い電波が起こって、善い電波が世間に充満してきたら、世の中が治まる、だから、人が見とらんからと言うて、悪いことをしてはいけん。人が居ておっても見とらんでも、天知る、地知る、我知るや。そういう電波がちゃんと自然に現れてくる。だから、一人でおっても、ちゃんと心を正して、いわゆる真理に沿うて生活するのが大事なんや」

また、別の機会にはこんなことも言っていた。

「目で見えないけれども、電波というものが怖い。人間、一人や二人が悪い心を持っておっても、その電波は弱い。けれども、その電波が、欲望という悪い電波が、千万人に広がったらどういう形になってくるかということを、今の人たちは信じない。

しかし、目に見えないものが、本当は神であり仏であり真理なんだ。目に見えるものでなければ信じないというのは、これは人間の欲だ。信じるということは、形のないものを信じるんだから、神や仏というものはあるという信念を持っている人には、それはある。しかし、そういう信念の無い者にとっては、神も仏もない。あるとかないとかいうことは、自分の心が決めることだから。だから、自分の心に神や仏などあるものかと思う者にとっては、神も仏もないんだ。そして、そういう神や仏もないという人がが多くなった時に、バチが当たるんや」

宮崎禅師は、一人一人の心の中にある善なるものが、電波に乗って世の中に広がっていくことを望んでいたのである。


先が見えないこの騒動の中、出来ることは手洗いうがい・外出を極力控えるのは勿論だけれども、陰謀説などの分かりやすい不安解消方法やら、すぐに救ってくれるお手軽なスピリチュアルやカルト宗教的なものにすがることなく、善い心、即ち感謝を放っていくということが、実は一番重要なのではないかと感じている。

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