山門をお守りされている方々にご挨拶させていただき
天狗さん達にもご挨拶させていただく。
高尾山にお伺いすると、いつも人で溢れかえっている手水にも誰もおらず
いくらGW前の天候が悪い日だと言っても、これほどまでに人が居ないというのは「人払い」という現象なのではないかと思ってしまった位だった。
そして仁王門前を通りすぎ、向かった先は福徳弁財天様のところだった。
今回、こちらにもお参りさせていただきたいという気持ちで高尾山に来た。
福徳弁財天
高尾山を訪れる人も、こちらまで足を延ばす人は何故だか殆ど居ない。
実際私も何度も高尾山を訪れていたけれども、こちらの存在を知ったのは2年程前だったりする。
こちらの中は写真に撮ってはいけないという注意書き等は無いのだけれども、写真を撮るという行動を慎まなければならない程の威圧感というのだろうか?そういうものを感じる。
再びこちらにお参りさせていただけることに感謝してお参りさせていただいた。
そして仁王門に向かうも、これまた人が居ない。
お線香とロウソクを手向け、お参りさせていただく。
人が居ない神社仏閣というものは、畏怖を感じさせるもので
それだけ、今回は飯綱大権現様始め、こちらにいらっしゃる神仏が伝えたかったことがあるのではないかと思ってしまった位に、本当に人が居なかった。
仏舎利塔に向かうと
金峯山寺から脳天大神様に向かう途中にいらっしゃる役行者様を彷彿とさせる、不動明王様と天狗さん達の姿があり、そのお姿を拝見するだけで、迷いを断ち切れと言わんばかりの力強いものを感じる事が出来た。
確かにここ最近、何に優先順位を置くべきか迷う事が多く、優柔不断になっている自分が居た。その思いを断ち切るために、今回この参拝をご用意して下さったのだと気付き、感謝して、高尾山を後にした。
何となく、お参りしたいという直感って、神仏からお呼びがかかったからなのだろうと、改めて感じながら。
下山したら小腹が空いたので、高尾山のお蕎麦と言えば有名な高橋家さんに立ち寄る。
いつもは行列が出来ているこちらのお店にも、この日はお客さんはまばらで
店内に居た、常連と思わしきおじさま方から、こんなに空いている日って無いよな、という会話が聞こえてきた。
普通に考えたら、始発で高尾山に向かい、お参りさせていただくことが観光客や参拝客が居ないベストな時間なのだろう。
今回、私は一番人が多いと思われるお昼の時間帯に高尾山に到着した訳だけれども、この日は何故だか殆ど人が居なかった。
自分の直感に従うこと。
それが例え常識外れでも、直感で行動したことの先にあるものは、誰もが予想だにしていない世界が広がっていることもあるのだから。