『吉祥天龍神図』との出会い~金峯山寺・蔵王堂

仁王門を護られてる方々にもご挨拶をさせていただき、石段を登ると桜の時期に吉野に来たのだ、と思わせる素敵な景色が広がっていた。

写真では表せない美しさ。

そして金峯山寺・蔵王堂に到着した。

金峯山寺・蔵王堂

『吉野山・蔵王堂特別拝観券付割引きっぷ』でいただいた引換券を拝観受付所で拝観券と交換して、堂内に入ると特製エコバッグ&お馴染みのミニ木札を頂戴する。

これで特製エコバッグも5枚目。

このエコバッグ、実は私の神社仏閣の旅の密かなお伴で、鞄に入れておいてもかさばらず、おまけに収納力抜群なので、訪問先で予定外のお下がりなどを受けた際にとても重宝しているものだったりする。

そして蔵王権現様に再びお目にかかることが出来た。

そのお姿はやはり圧倒的であり、そのお姿の前に佇むだけで有難い気持ちに満たされる。発露の間にもお邪魔させていただき、こちらに再びお招きいただいたことに感謝して祈りを捧げた。

そして堂内にいらっしゃる仏様にもお参りさせていただき、奥殿本地堂で行われていた「浅山澄夫・能絵作品展」というものを見せていただいた。

この旅に出る前に『ユリイカ』を読んで、梅原猛先生について書かれた能楽師の方の文章を読んだのだけれども

私は能に関しての知識が全く無かったが故、この文章を読んでいたおかげで、こちらの作品展を楽しむことが出来た。

『翁』に関する作品もあり、その絵画からは香り立つような神聖さを感じてしまったのだけれども、今回こちらの作品展で一番印象に残ったのが、『吉祥天龍神図』というものだった。

その絵を前にしたら、しばし動けなくなる位の衝撃が身体中を駆け巡る。

まるで絵の中に、本当に龍と吉祥天様がいらっしゃるような感覚。

傍にあった解説を読むと、この絵は東日本大震災という甚大な大災害からインスパイアされて描かれたものだという記述があった。

私は「能絵」をライフワークとしている身ですが、この度の、東日本大震災という甚大な大災害からインスパイアされて描いた作品です。

あまりに大きな、そして人々の深い悲しみを目にして我が身の非力さに打ちのめされ、絵師の「私に出来ることは何か」と自問自答していた中、 ― 被災3日後の深夜でした、「鎮魂・救済・復興の象徴神を描きなさい」とのメッセージを夢の中で受けました。

そうして描き上げたのが『吉祥天龍神図』です。 観た人の『心を穏やかにし、一時でも豊かな心地に誘ってくれる』― そんな絵を描いて発表する事が 私の務めではないかという想いに至りました。

「吉祥天」は海の泡から生まれた 除災・招福・富貴・繁栄の女神です。

慈しみと魂の救済、復興への願い、平和で安らかな営みを皆が持てるよう、華麗な多色遣いが元気を育んでくれるように祈りを込めて描きました。

描いた作品を通じて 世の中に貢献ができるよう今後も努めて参りたいと思っています

能絵館 HPより引用

この絵画は能絵館さまのHPやのTweetで見る事ができるのだけれども

機会があれば是非とも実物をその目で見て欲しいと思った位、とても素晴らしいものだった。

そして、この絵を「金峯山寺」で見る事が出来たということに、何か意味があるような気がして仕方がなかった。

世の中は理不尽なことだらけだ。

その理不尽さをどう解釈するかは、自分次第だとは思うけれども、やはりやりきれない想いに心がすさんでしまうこともある。

一生懸命に努力したところで報われないこともあるし、予期せぬことに巻き込まれ、己の不運を嘆くことも多々ある。

けれども、そんな時に『心を穏やかにし、一時でも豊かな心地に誘ってくれる』ものを持ち合わせていれば、その不運の波に飲まれることなく、心の荒廃を防ぐことも出来るのだろう。

それを人は宗教と呼ぶのかも知れない。

神仏は時として、思いがけない形でのメッセージを下さる。そのメッセージに気付くことが出来たということ、それこそが神仏が与えて下さったご利益というものだ。

再び発露の間にお邪魔させていただき、蔵王権現様に感謝を述べて、蔵王堂を後にした。

脳天大神様の元に向かうべく、吉野朝宮址方面へ歩いて行くと、ふんわりと風が吹き、桜の花びらが風に揺られてひらひらと踊る様は、まるで散華が舞い散っているような美しさを醸し出していた。

夢見心地のまま、脳天大神様への元へと進んでいった。

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