スリリングな案内版を見た後に、手水で清め奥の院参道を歩く。
そして今回初めて八所明神様のところにお伺いしてみた。
案内版には
宮中賢所の祭神である八神を迎えて祀ったという。 鞍馬の火祭りには、由岐明神と八所明神の二つの神輿が鞍馬の街中を渡御する
と書かれていた。
鐘楼近くに御鎮座されていたとは知らなかったので、これまでこちらにお伺いする機会が無かったのだけれども、今回初めてお参りさせていただくことが出来た。
そして再び参道を歩く。
この日は晴天だったので、先日降った雪も溶けかかっているような状況だった。
昨年1月にお伺いした時の足場と比べると雲泥の差だなぁ、と思いつつ、怪我をしないようにゆっくりと歩いて行く。
なので時折人とすれ違う程度で、いつもに増して人の少ない鞍馬山を歩く。
大杉権現社に向かうも、数人の人が通ったかと思われる足跡がある位で、これまた誰も居ない。
そして大杉権現社に到着した。
こちらにお伺いすると、いつも同じような時間帯のせいかも知れないけれど、お日様の光が差し込んでくる場面に遭遇する、
わぁ素敵だなぁと思っていたら、光が増してそれは美しい風景だった。
そして手水で清めて
再びこちらにお招きいただいたことに感謝してお参りさせていただいた。
しばらく佇んで木々を見つめていたら、「全ては繋がっている」のだということが突如として頭の中に浮かんできた。
木々は一本づつ見たら、それぞれ独立して成長しているかのように見えるけれども、その大元となる土にしっかりと根を下ろして繋がっている。
人間も同じように、一人一人の魂は肉体というものを身にまとい、個々に活動しているように見えるけれども、大元となる部分は一つなのではないかと。
と、そんなスピっぽいことを感じていたら、案内版に目が留まる。
こういった案内を目にすると、本当にそうですよね、としか言えないし、逆にこういう案内があるということは、その手の類の人が多く訪れる場所なのだとも言える。
スピっぽいこと、全て否定はしないけれども、やはり現実社会で地に足がついていないスピっぽい人たちは苦手だったりする。両方のバランスが取れている人にお目にかかれればいいのだろうけれども、そういう人はやはり表に出てこないというのが現状だったりして。
そして再び雪と格闘しながら参道を歩き
不動堂に到着。
こちらも本当に素敵なところ。
そして義経堂でもお参りさせていただき
魔王殿へと向かう。
そして魔王殿に到着した。
手水で清めた後に、こちらに再びお招きいただいたことに感謝してお参りいただいた。
そして貴船に向かおうと歩いて行った訳なのだけれども、ここからの足場が超悪く、雪がシャーベット状になっているところを降って行く格好となるので、少し歩くだけでも足を取れられてしまうような状態だった。
参道脇に手すりがある場合には、それにしがみつくような格好だった。
予想もしていなかった程の足場の悪さに、果たして無事に貴船まで到着出来るのかと思ってしまった程だったけれども、とにかく降って行かなければならないということで、ゆっくりと降る。
すると先方に女の子二人の姿が見えて、彼女達も降って行くのに苦戦しているような状況が窺えた。
ゆるゆる歩いていたら、彼女達に追い付くような格好となり、目があったので(お互い苦労するねー)という思いで、にっこりしてみたら、彼女達もにっこりとしてくれた。
そして彼女達が手に杖を持っている姿を見て(もしかして棒のようなものがあれば、ちょっとはマシになるのかしらん?)と思い、近くに落ちていた枝を拾ってみたものの、長さ的に足りず断念。
すると私が枝を探している間に先を進んでいた女の子二人のうちの一人が、この足場の悪い中、私のところまで来てくれた。
台湾から来たというその女の子は、カタコトの日本語で「ダイジョウブ?」と私に声をかけてくれて、その後英語で「私たちは二人とも杖を持っているので、一本はあなたが使って」と彼女の杖を私に差し出してくれた。
その親切心だけで胸が一杯になったけれども、やはり足場が悪いと想像できるのに準備を怠った&杖を借りなかった自分の責任もあるので、彼女の優しい気持ちに感謝しつつも、彼女の杖を借りることは遠慮させていただいた。
こんなにも優しい人が、世の中に居るのだ、と思ってしまった。
大げさだなぁと思う人も居るのかもしれないけれども、こういう状況下で私が逆の立場だったとしたら、果たして同じような行動が取れるのだろうか?と考えてしまったと同時に、彼女の人を思いやる心はまるで菩薩様のようだと思ってしまった。
人の苦しみを自分の苦しみとして受け止め、困っている人を助ける。
そういう人は菩薩様のようなお方だと言うけれども、彼女はまさしくそう言った人だった。
鞍馬山でこういった出来事に遭遇したのも、決して偶然ではない。
鞍馬寺で引かせていただいたお御籤にも書かれていた文言
貧しき者にめぐみ、正義に生きる。
これぞ最大の幸福なる。
今回は私が、貧しき者だった訳だけれども、台湾から来た女の子の慈悲の心にいたく感動している自分が居ると同時に、この感動した幸せの気持ちは、誰か別の人にも渡していかなければならないのだと痛感した。
そして何とか無事に貴船に到着することが出来た。
pay forward
誰かを想った利害抜きの慈悲の心というのは、次に繋がり、そして巡り巡って、自らに返って行く。
大杉権現社でお参りさせていただいて感じたこと、全ては繋がっている、ということはそういうことなのではないかと思いながら、無事貴船に到着出来たことに安堵すると同時に、先ほどの彼女達の幸せを願わずにはいられなかった。
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