思い立ったが吉日ということで鎌倉へ再び~葛原岡神社へお伺いしました

汚れていないからと掃除をしなければ、その場が清められないように、神様仏様にお参りしなくても大丈夫だと思っていても、日々積み重なっている目に見えない汚れのようなものは、溜まるということを実感していた。

けれどもここ最近の仕事の忙しさに忙殺されて、そして至極当然と言うべきか体調も良くなく、休日にはどこかに出かけようという気力さえなくなり、そして神社仏閣にお伺いすることもままならない状態となっていた。

そんな体調の優れない時に読んだ本の中で、観音様について書かれている文章に触れ、そして、その文章に触れた際に思い出したのは、鎌倉・長谷寺の観音様だった。

こんな時だからこそ、神社仏閣にお伺いしなくてはならないと思い、今回は鎌倉の長谷寺にメインにお伺いすることを第一目標としつつ、自分自身の体調と相談して、無理のない程度で神社仏閣にお参り出来るプランを練って、源氏山から長谷に行くことにした。

今回はこんな状況だからこそ、神様や仏様のお力にすがることの重要性を学んだ。

そして、お参りさせていただけたことは正解だったと言える位、身も心も軽くなっている自分が居た。

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朝8時過ぎに鎌倉駅に到着。

鶴岡八幡宮へお伺いするのとは反対方面の鎌倉駅西口から、徒歩で源氏山方面へと向かう。

案内版があったので、その案内に従って歩く。

歩いている途中に見かけた素敵な外観のスタバに寄りたいような気持ちになりながら(笑)

テクテク歩いて行く。

朝八時台ということもあるのかも知れないし、それ程メジャーな場所にお伺いする訳でも無いので、観光客らしき人は殆ど歩いていなく、こういった静かな時間が鎌倉にもあるのだと改めて認識してしまった。

銭洗弁財天へ向かう勾配のきつい道を登っていく。

そして銭洗弁財天宇賀福神社の前に差し掛かった訳だけれども、こちらでのお参りは後ほど、ということで、更にキツイ勾配の道を歩いて行った。

それは葛原岡神社にお伺いするために。

葛原岡神社

近頃では縁結びのパワースポットとして有名なところらしいけれども、私が今回お伺いした理由はそれ以外のところにあった。

葛原岡神社 由緒

御祭神「日野俊基卿」は、後醍醐天皇の側近として鎌倉時代末期に活躍され、建武中興の成功を見ずして、この葛原が丘で露と消えられた方です。

日野家は代々文章博士の家柄で俊基卿の父種範も大学頭として花園天皇に仕えていましたが、特に学問に優れていた俊基卿は、後醍醐天皇の信任を受け文章博士・大内記・従五位下蔵人・左中辨従四位下という位を授かるなど、側近として寵愛されました。

俊基卿が活躍された鎌倉時代末期には鎌倉幕府の荒廃に不満を抱く武将も多く、俊基卿は仁保資朝卿と共に後醍醐天皇を中心とした討幕計画を勧めますが、幕府方の監視も厳しく思うように事が進まないので、比叡山延暦寺からの訴状を読み上げる際に「楞巌院(りょうごんいん)」と読むべき所を故意に「慢巌院(まんごんいん)」と読み誤り、多くの失笑を受けた俊基卿は病と称して、以来公式の場から身を隠され、修験者に身を代え紀伊国へ進み楠木正成ら有力な勧王武士を集めることに専念されました。

しかし、この討幕計画は密告により幕府方に漏れてしまい、正中元年(1324)俊基卿は首謀者として資朝卿と共に六波羅に捕らわれ(正中の変)一時鎌倉に護送されましたが、幕府方は資朝卿を佐渡に流すことで俊基卿を釈放しました。

俊基卿は後醍醐天皇の下で再び北條氏討滅計画を進めますが、これもまた幕府の知るところとなり、元弘元年(1331)僧文観・円観と共に幕府に捕らわれ(元弘の変)俊基卿は鎌倉に護送され、翌年後醍醐天皇も隠岐へ流されてしまいます。

そしてこの年の六月三日俊基卿は当時刑場であった葛原が岡において

秋をまたで葛原岡に消ゆる身の露のうらみや世に残るらむ

古来一句 無死無生 万里雲尽 長江水清

の辞世の句を残しこの地で悲しい最期を遂げられます。

~葛原岡神社 由緒より引用

今回プランを考えていた際、自分のルーツを鑑みると、こちらにお伺いしなくてはいけないような気がしてしまって仕方がなかったのだった。

あまり詳細は述べたくないので書かないけれども、やはり自分が関東在住の割りには関西の神社仏閣に深く惹きつけられることなどを考えてみても、至極当然と言える訳でして、、、

手水で清めて

御本殿へと向かう。

そして御本殿でこちらにお招きいただいたことに感謝してお参りさせていただいた。

もうこうなってくると自分の為のお参りとかじゃないような気がして

ただひたすらに、お呼びいただけたことに感謝するしかなかった。

そしてお稲荷さんも御鎮座されていたので、お参りさせていただく。

合鎚稲荷神社

こちらは本当に単純に良いお稲荷さんだったので、安心してお参りさせていただいた。

そしてこちらの神社にお参りする人々の目当てであろう、縁結びの石の前では神社の方が作業中だったので、お参りすることは叶いませんでした(笑)

まぁ私が今回こちらのお伺いした目的は縁結びではなく、後醍醐天皇様の為に尽力を尽くされた方に敬意を表するのが、一番の目的だったので、特に気にすることもなく。

そして社務所で御朱印を頂戴して、銭洗弁財天宇賀福神社へと向かう道すがら日野俊基卿墓にさしかかる。

日野俊基卿墓

こちらにお招きいただいたことに感謝してお参りさせていただき、そしてその無念さに同情を禁じ得ない気持ちをお伝えした。

しかしながら、未だ以て恨んでいるといった、そういったネガティブな類の感情は伝わってこなかった。

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