前日のバスツアーで行った最後の神社でモヤモヤを感じたまま帰京してしまったので、翌朝目覚めても何となくモヤモヤした気持ちのままだった。
こういう時は、何も考えずに外に出るのが一番だと思い家を出る。
そして目的も無く自由気ままにフラフラ歩いていたら、代々木八幡宮に辿り着いていた。
代々木八幡宮もパワースポットなんて言われているところなので、一時期は妙に人でごったがえしていた時期もあったけれども、今は落ち着いているように感じる。
私がお伺いした時も近隣にお住まいの方の参拝が多く、代々木八幡宮前で信号待ちをしていたら後ろにいらっしゃった老夫婦が代々木八幡宮で行われている青空市について話している声が聞こえてきた。
そして「八幡様」とおっしゃっていたその言葉に崇敬の念を感じることが出来た。
鳥居を潜り参道を歩くと、とても気持ちが良かった。
青空市が催されている参道は楽し気な雰囲気。
その楽し気な空気を感じつつ、参道を歩き、手水で清めさせていただく。
そして拝殿でお参りさせていただいた。
私はこちらの八幡様にはかなりお世話になっている。
身近にあるお社ということもあるけれども、嬉しいことがあった時や悲観に暮れてどうしようもなくなった時にもお参りさせていただいた。
けれどもその度に、救いの手を差し伸べて下さる優しい神様。
ある意味心の拠り所になっているお社でもある。
そして末社にもお参りさせていただき
出世稲荷さまのところにもお伺いした。
いつも本当にお優しい。
拝殿前に戻ると、境内には七五三のお参りをするご家族の姿が見られ、ほのぼのとした気持ちになる事が出来た。
そして社務所前に到着したら、何となくお御籤を引きたいような気分になり、今の私へのメッセージをお願いしますと願いながら引かせて頂くと、これまた大吉だった。
大吉という結果もさることながら、御御籤裏面に書かれている「神の教」という言葉が胸に突き刺さった。
神の心に叶えば嬉し、暗いこころも、晴れて来る
金をためたら、慈善をするという人は、ためるお金に限度がないから、なかなか慈善が出来がたい。物がなければ力で、力がなければ言葉ででも、人を慰め、人の力になってやれ。情はひとのためならず慈善をすれば心が明るくなって、まず自分が救われる。
本当に御御籤をいうのは、その時々に必要なお言葉を授かることの出来るものだと改めて実感してしまった。
そして御神木を写真に収めさせていただくと
光がパーッと差してきた。
清く明るく、そんなお言葉を授かる。
フラフラとお伺いしてしまった代々木八幡宮だったけれども、それまでのモヤモヤとした暗い心も晴れて来るような、素敵なお参りをさせていただけた。