神宮会館を朝5時に出発して内宮へ向かった。
まだ辺りは薄暗く、誰も居ない中、一人歩く。
そして宇治橋前の鳥居に到着。
私は2012年に初めて伊勢神宮にお伺いして以来、何度も何度も朝5時台の内宮にお伺いしているけれども、誰も居ないという場面に遭遇することは無かった。
しかしながら、今回は本当に誰も居なかった。
こんな日もあるのだと半ば不思議な気持ちになりながら、宇治橋を渡る。
そして神苑方面へと向かうと、これまだ誰も居ない。
昔宇佐神宮にお伺いした際に、誰も居なくて人のお庭を勝手に歩いているような気分になったけれども、今回もそれと似たような気持ちになる。
勿論、手水にも誰も居ない。
こちらで清めさせていただき、再び歩いて行く。
御手洗場に到着するも、これまた誰も居なかった。
五十鈴川で再び清めさせていただく。通常ならばこうやっている間に参拝客が来て静寂が破られることも多いのだれども、この日はやはり誰もやってこなかった。
なので心ゆくまで五十鈴川のせせらぎの音に耳を澄ませ、そして秋の訪れを感じさせる虫達が奏でる響きに身を委ねることが出来た。
本当にこういう時間を内宮で持てるということが、信じられない位、誰も居なかった。
そして瀧祭神様のところにもお伺いして、ゆっくりとお参りさせていただけた。
いつものパターンならば、この後に他の参拝客が来て、その話し声などで静寂が破られることが多いのだけれども、この日はそういったことも全く無く、その不思議さ加減に驚きつつ、参道を歩く。
前日のタクシーの運転手さんの言葉がふと脳裏をよぎる。
「伊勢に呼ばれたんだね」
確かに今回はそうなのかも知れないと思える程、静寂に包まれた内宮境内を歩く。
写真を撮らさせていただきながら歩いていたのだけれども、御正宮に近づくにつれ、辺りは明るくなっていき、そして肉眼では見えない光が写真には納まっていた。
こうやって、神様からの恵みというものは、目に見えないだけで、何時でも私たちの頭上に燦々と降り注いでいるのではないかと思える程の光。
そして御正宮前に到着する。
本当に、誰も居なかった。
それは天照大御神様がご用意下さった、特別な時間だった。
この日も早朝にも関わらず、御垣内参拝をさせていただけたのだけれども、この日の御垣内参拝は自分の中でも一生の思い出になるくらい、素晴らしく感じたものだった。
そして荒祭宮方面へと歩いて行く。
本当に誰も居ない。
今回、どうしても伊勢に行かなければと思ったのは、やはり間違いでは無かった。
四至神様のところへお伺いする頃には、空はすっかりと明るくなっていた。
そして風日祈宮へとお伺いする。
これまた、誰も居ない。
もう人払い云々の話じゃないよな、と思いつつ。
そして子安神社・大山祇神社にもお伺いしたけれども、こちらも誰も居なかった。
そして宇治橋方面へと戻る。
こちらに到着する頃には朝7時近い時間となっていたこともあって、大勢の一般の参拝客の姿や神宮会館の早朝参拝の団体さんの姿を目にした。
何かの力が働いて、今回の静寂の中でのお参りとなったのだろうと言う感謝の気持ちで一杯になりながら、宇治橋を渡った。
直感というものがあるのだとしたら、今回はどうしても伊勢にお伺いしなければならないような気がして、無理を承知で休みを取り伊勢に来ていた。
けれどもその目に見えない感情に従ったことで、これほどまでの有意義な時間を過ごすことが出来たことに、不思議さとお導きを感じざるを得ない自分が居た。