女人堂から坂を下るような格好で南院を目指す。
途中、西室院前に差し掛かると喫茶部の看板が出ていて、こちらでお茶が出来ることを知る。
こういう雰囲気の中、一人ゆったりとお茶が出来たら最高だろうなぁと思ったけれども、そろそろ高野山を離れなければならない時間も迫っていたため、泣く泣く断念。
そして歩みを進めると、高野山なのに南無妙法蓮華経の石碑があることに気付く。
こちらは五坊寂静院というお寺だった。
こちらのお寺は
寺伝によると「妙法蓮華経」に因む、妙智坊・法智坊・蓮智坊・華智坊・経智坊という宿坊があり、これらを一心院としたのが明寂上人であるという。
その後、行勝上人が相伝し、貞暁上人が五坊寂静院と改称したという。後醍醐天皇・後村上天皇・後土御門天皇・後柏原天皇などの歴代天皇より綸旨を賜り、勅願寺となった。
平安時代以降、高野山を構成した高野三方の学侶方に属し、相当な有力寺院であった。
~Wikiより引用
というお寺だったりする。
境内にお邪魔すると人の気配は全く無い。
けれども、境内はきちんと整えられていた。
そしてお題目の石碑の横には、日蓮聖人遊学之遺跡と刻まれていた。
思わず身延山に想いを馳せている自分が居た。
4年前に初めて高野山にお伺いした際には、近くにあった徳川家霊台にお伺いしたことを考えると、恐らくこちらの前は通りかかっていたのだろう。しかしながら、まだ何も知らなかった当時の自分ではこちらに呼ばれることも無かったことは当然とも言える。
そして近くに神社が御鎮座されていることに気付く。
こちらは右に丹生大明神、左に高野大明神がお祀りされている神社だった。
こちらにお招きいただいたことに感謝してお参りさせていただいた。
そしてこちらの近くには鬼子母神のお社もあった。
今回、南院にお伺いしたいと思ってこちらの方面を歩いてみたけれども、これらのお寺やお社を発見出来たことだけでも、実際に自分の足で歩いてみることの重要性というのもの垣間見た気がした。
誰かが言っていた良いところが、全ての人に当てはまる訳でも無いし
誰かが言っていた悪いところが、全ての人に当てはまる訳でも無い。
そして、誰も語っていないところにこそ、真実が潜んでいるのかも知れない。
だからこそ、自分自身で考えて行動して、それを見つけるしかない。
そして南院に到着。
南院というのは
東大寺の南院に住していた子島真興僧都の建立。
空海が唐より帰国のとき嵐に遭い、その時、空海は自ら不動明王を刻み祈願して荒波を鎮め無事に帰国できたという。その不動明王像は当初は壇上伽藍の山王院に安置されていたが、南院住職維範大徳の時(平安時代)に当院に移された。
その本尊・浪切不動明王は毎年6月28日に開帳される。
~Wikiより引用
というところで、私にとってはずっとお伺いしてみたいと思っていたお寺の一つだった。
お堂の中に入ってお参りさせていただけるということで、お堂の中にお邪魔してこちらにお招きいただいたことに感謝してお参りさせていただいた。
とても力強いものを感じることが出来た。
お堂外側の天井には龍。
その猛々しい龍を見ていたら、全ての厄が取り払われるような気がした。
念願のお寺を参拝出来たことの満足感に浸りながら、そろそろ終わりを告げようとしている高野山での時間がとても貴重なもののような気がしてきた。
そして最後は檀上伽藍にお伺いすることにした。