清く明らかなこと~狭井神社にお伺いしました

くすり道を抜けて、狭井神社へと続く参道を歩く。

途中御鎮座されているのが磐座神社。

磐座神社

社殿が無く磐座を神座とするこちらには、その素朴さ故か、大抵の人は通り過ぎてしまう場所だけれども、私は手を合わさずにはいられなかったりする。

今回もこちらにお招きいただいたことに感謝してお参りさせていただいた。

そして狭井神社に到着した。

狭井神社

私は三島由紀夫が大好きなので、やはりこちらにお伺いすると必然的に三島由紀夫のことを思い出してしまう。

手水で清めて

手水裏にある三島由紀夫の石碑を見に行く。

こちらの前でしばし考え込んでしまっている自分が居た。

傍から見たら相当怪しい人だとは思われるだろうと思いつつ(笑)

そして狭井神社へと続く石段を登る。

拝殿前でこちらに再びお招きいただいたことに感謝してお参りさせていただく。

そして薬井戸へ

今回私が大神神社にお伺いしたのが5月2日だったのだけれども、翌日の5月3日からこちらの井戸の給水を停止したというニュースをこの旅行後に発見した。

そしてつい先日、再開したというニュースも見たので、一安心という気持ちになった訳だけれども、こちらのお水がいただけない事と言うのもあり得るのだなぁと思った次第でして。。。

この時はそんなことになろうとは露知らず、いつものように据え置きのカップを使い美味しくお水をいただいた。

私にとってはこちらのお水をいただくのが、狭井神社へのお参りの密かな楽しみであったりする訳なので、お水がいただけないという事体に遭遇しなくて済んだことに、今更ながら感謝するのだった。

そして社務所で御朱印を頂戴すると、その横ではいつものように三輪山登山の人々が群を成していて、神職の方より厳しく登山の注意を受けていた。


昔こんな記事を書いたけれど


記事を書いてから2年が経過しようとしている現在でも、やはり私は三輪山に登る気にはなれない。

三輪山に登る登らないは個人の自由なので、登山する人は自己責任でどうぞ、としか感じないけれども、私は、やはり、こちらのお山には畏れ多さの方が先だってしまう。

三島由紀夫の『奔馬―豊饒の海・第二巻 (新潮文庫)』にも

もちろん一般人は入ることができませんし、ふだんはよほどの古い崇敬者に限って入山をお許ししているわけでありますが、

と三輪山への登山について描写されているところがある。

現在、何故入山料を支払えば誰でも入山出来るようになったのか、私には分からないけれども、とにかく、やはり、古い文献などを多く確認するにつれ、恐れ多くて足を踏み入れてはいけないように感じてしまうのだった。

三島由紀夫の石碑に書かれた言葉。

清明

果たしてこの言葉の重さを理解している人々はどのくらい居るのだろう?と思えて仕方がなくなる。

そして狭井神社を後にして、市杵島姫神社にお伺いした。

市杵島姫神社

こちらの神様は本当にお優しい。

いろいろな思いが交錯して、頭の中がぐるぐるしていた私にまぁ落ち着きなさいよとばかりに檜原神社に向かう道すがら、亀さんを出現させて下さった。

池から離れたこんなところに亀が居るなんて!と思いつつ、亀を見られたという幸運に喜びながら、檜原神社へと向かった。

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