檜原神社を後して、大神神社方面へと戻るために山の辺の道を歩く。
そして、玄賓庵に到着。
入山料はお心持ちで、という案内があるのだけれども、檀家さんのいらっしゃらないお寺だと以前お伺いした際に聞いていたので、それなりの入山料を賽銭箱に納めてお邪魔させて頂いた。
平日ということもあってか、境内には誰も居ない。
そして平日だったので、お堂も閉まっていた。
なのでお堂の前で、不動明王様を始めとするこちらにお祀りされている仏様にお招きいただいたことに感謝してお参りさせていただいた。
私は何故かこちらに惹きつけられるようなものを感じる。
分かる人には分かると思うのだけれども
しかしながら、私が好きなところだからと言って、全ての人が気に入るとは限らない。
結局はネットなどの情報を鵜呑みにせずに、自力で自分自身とのご縁のあるところを、探し当てていかなければならない。
それは人生全般に於いて言えることのなのだろうけれども、結局は自分の人生を歩んでいるのは、ほかでも無い自分自身であるということ。
自分で考えて、自分で行動して、その行動を他人に責任転嫁することなく、自分の人生を自分自身で決めるという事。
以前とあるところで、とある方に、行くだけで運が良くなるような所謂パワースポットというものはあるのでしょうか?という初歩的な問いを投げかけたことがある。
その方は、行くだけで運が良くなるような場所は無い、と言い切った。
けれども、そのお言葉を聞くことが出来て、私は安堵の気持ちになったことを、こちらに再びお伺いして、ふと思い出してしまった。
目に見えないものを信じていない人には、その力を感応する能力は無いということ。
そういうことを、そのお方は言いたかったのだろう。
綺麗に掃き清められた美しい境内を散策していていたら、そんなことを思っている自分がいた。
そして再びお伺い出来ることを願いながら、玄賓庵を後にした。
この季節の山の辺の道は、とても美しい。
写真に収めることは出来なかったけれども、歩く道すがら蝶々がひらひらと舞いながら、行く先を先導してくれたり、トカゲさんも出て来てくれたり、鳥達が思い思いに、その生を謳歌するかの如く、心地よい歌声を奏でていた。
本当に歩いているだけで、幸せを感じた時間だった。
そして狭井神社の前を通り過ぎ、大神神社方面に戻る。
途中、活日神社にもお伺いして、お招きいただいたことに感謝してお参りさせていただく。
そして大神神社の拝殿前に戻ってきた。
またいつか、大神神社にはお伺いするのだろうと思いつつ、拝殿前を後にする。
境内には美しい牡丹。
そして宝物収蔵庫前を抜けて、久延彦神社に向かった。