内宮前からバスに乗ろうとしたら、伊勢のバスでもパスモ(ICカード)が使えることに気が付いた。とうとう伊勢でもパスモが使えるようになったのかと、内心驚きつつ、やっぱりICカードって便利だよなぁと思ってしまったりして。
そしてバスに揺られること10分程度で外宮前に到着。
外宮もお昼過ぎと言う事もあって、そこそこの人出だった。
まずは手水で清めて
鳥居を潜る。
以前外宮にお伺いした際に、こちらの前で袴姿で神道事典を掲げて自撮りをしようとしていた青年が居て、大変そうだと思って代わりにシャッターを押してあげたことを、ふと思い出してしまった。
あの青年は立派な神職になれたのだろうか、などと思いつつ。
何回もお伺いしていると、やはりいろいろな記憶が蘇ってくる。
私は内宮も好きだけれども、勿論外宮も大好きだったりする。
宿泊地を神宮会館と決めているので、お伺いするのは内宮の方が多い形にはなってしまうけれども、それでも優劣などは決めがたい。
内宮には内宮の良さもあるし、外宮には外宮の良さもある。
真っ直ぐ歩いて御正宮へと歩みを進める。
途中、外宮の四至神様にも、再びこちらにお招きいただいた事に感謝して祈りを捧げ
以前の御正宮のあったところを見つめると、その間にお伺いしていた時の感情がフラッシュバックしてきて、涙が出そうになっていた。
その時、丁度ボランティアガイドと思わし方が、参拝客を案内している場面に遭遇する。
「伊勢神宮はパワースポットなどと言われ、境内にある木々などに触れられる方々も多いのですが、私共はそういった行為はご遠慮いただいております。第一に木々の根を踏まれるということは、木を傷つけることになりますし、手で触れられることによって手の油などが付着することもこれまた木を傷つけることになりますし、、、」
といった趣旨のお話をされているのが聞こえてきた。
先ほど内宮にお伺いして思ったのは、未だに境内にある木に何も考えずにベタベタと触れている人々が多いことだったりした。
まぁ、その人々がその先どうなろうが、私の知ったことではないのだけれども。。。
そして外宮の御正宮に到着した。
こちらでも御垣内参拝をさせていただく。
こちらの御垣内も内宮に負けず劣らずの別世界であり、この地に足を踏み入れることの畏れ多さに恐縮しつつも、豊受大御神様に今までの感謝を述べてお参りさせていただいた。
三ツ石さまのところには、誰も居なかったので一安心(←って伊勢神宮のHPを見たら、しっかりと「近年、手をかざす方がいますが、祭典に用いる場所なのでご遠慮ください」と書かれていた)
亀石さんにもご挨拶させていただき
多賀宮へとお伺いする。
地蔵石さんにもご挨拶させていただき
多賀宮に到着。
こちらでも再びお招きいただいたことに感謝してお参りさせていただく。
そして多賀宮を後にして
次にお伺いしたのは下御井神社。
こちらも私は大好きな神様だったりする。
けれども、近頃ではお参りする人も多くなったので、ゆっくりとお話する時間が持てなかったことがちょっと心残りだったりして、、、
そして土宮にお伺いする。
その後風宮へ。
土宮も風宮も、私にとっては、とてもお優しい神様がいらっしゃる場所だったりする。
お伺いするたびに、また来たね、とおっしゃって下さるように感じてしまい、私は本当に幸せ者だと参拝する度に思ってしまうのだった。
外宮も、本当に美しい場所。
以前神宮会館で購入した書籍『外宮さんを知るための二十のことば』にはこんな記述があった。
天照大神は日月と共にして、寓の内を照し臨み給へり。
豊受大神は天地と共にして、国家を守り幸ひ給へり。
天照大神は太陽や月と同様なので、天下を照らし君臨される。
豊受大神は天地と同様なので、国を守り豊にして下さる。
◆『倭姫命世記』倭姫のおことば
先に記した現代語訳をさらに意訳すると、「天照大神は、太陽や月と共に天上におられ、天下を照らし見守られる。豊受大神は、天地と共にこの国におられ、国家を守り幸をお授けになる」となります。
内宮と外宮の御祭神を一対にして、内宮を月日や天上、外宮を天地や国家に位置づけて、それぞれの御祭神の神徳を的確に述べています。
内宮と外宮のご関係とは、まさに幽契であって、人がすべてを理解できるものではないのかもしれません。
人も一人では生きていけないように、神様も一柱だけでは存在することはできない。
外宮にお伺いすると、そんな豊受様を始め、御鎮座されている神々の皆様の懐の大きさとでも言うのだろうか?とても大らかなものを感じてしまい、そしてそのお優しさに涙してしまう自分が居るのだった。