宝泉寺から、國學院大學を目指して歩いて行った。
前日に伊勢の徴古館について書いていたら、國學院大學に博物館があったことを思い出し、ずっとお伺いしたいと思っていたので、今回恵比寿に来たついでに國學院大學まで足を延ばしてみることにした。
そして、國學院大學博物館でいろいろな展示品を見学させていただいたら、やっぱり私まだまだ勉強が足りないなぁと改めて思い知った訳でして(とほほ)
宝泉寺から國學院大學までの道でも、自分の無知さに気付く事が出来た。
それは國學院大學近くまで歩いていた時に、この建物を見た瞬間。
塙保己一史料館
塙保己一という人は
塙 保己一(はなわ ほきいち、延享3年5月5日(1746年6月23日) – 文政4年9月12日(1821年10月7日))は、江戸時代の国学者。
幼名は丙寅にちなみ寅之助(とらのすけ)、失明後に辰之助(たつのすけ)と改める。また、一時期、多聞房(たもんぼう)とも名乗る。
雨富検校に入門してからは、千弥(せんや)、保木野一(ほきのいち)、保己一(ほきいち)と改名した。『群書類従』『続群書類従』の編纂者である。総検校。贈正四位。
~Wikiより引用
という江戸時代の国学者。
その存在は知っていたつもりだったけれども、そのお方の史料館が渋谷にあるということをこの建物を見るまで知らなかったのです、、、
中を見学してみたいと思ったけれども、開館日が平日の月曜日から金曜日の9:00-17:00までという事だったので、叶わなかった。けれどもいつかは見学させて頂きたいとは思った。
塙保己一と言えば、ヘレンケラーの恩人として知られている。しかしながら、日本人でヘレンケラーの事は知っているけれども、塙保己一の事は知らないという人も多いのではないかと思ったりして。
まぁ私も塙保己一史料館が渋谷にあるということを知らなかった位なので、偉そうなことは言えないけれども(爆)
ホント、自分の足を使って歩いてみないと発見出来ないということが多い。
軽い衝撃を受けた後、國學院大學構内にお邪魔した。
激しく雨が降っていた日曜日ということで、学生さんの姿は殆どなかった。
そして國學院大學博物館を目指して歩いていたら、何やら神社の雰囲気が漂ってきた。
國學院大學神殿
こちらは
天照皇大神をはじめ天神地祇八百萬神をお祀りしています。
國學院大學の母体である皇典講究所の理事・和田豊治氏が神殿建築費として指定寄付(大正12(1932)年)され、その浄財により、造営。
毎年5月1日に神殿鎮座記念祭を斎行しています。
また、伊勢の神宮の第61回御遷宮に伴う神宮殿舎撤却古材を譲り受け、平成7(1995)年4月に幣殿と拝殿が増築されました。
神殿前を流れる神奈備川のせせらぎが心を落ち着かせます。参拝の前に手水をつかい心身を清め、二礼(拝)二拍一礼(拝)で参拝します。
~國學院大學博物館 HPより引用
という神社だったりする。
手水もあり
こちらにお招き頂いたことに感謝してお参りさせていただいた。
雰囲気的には、やはり伊勢に近いものを感じた。
我欲を押し付けるところでは無く、純粋に感謝のみを捧げる場所なのだろうと。
そして博物館方面に歩いて行くと國學院大學正門に出た。
正門方面から見ると、こちらのお社周辺がこんもりとした木々に守られている姿を見ることができる。
そして國學院大學博物館に到着したのでした。
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