次に向かったのは、高野山東京別院。
新馬場から京急に乗って品川で下車。
品川からは徒歩10分程度のところにあるということで、スマホを頼りに高野山東京別院を目指す。
品川駅高輪口を出て、左手に進んでいき、そしてしばらく歩くと桂坂という坂があるので、その坂を登っていく。
東京の坂と言えば、坂道マニアのタモリさんが『新訂版 タモリのTOKYO坂道美学入門』という本を出されている位、見る人によってはとても興味深いものだったりする。
坂の由来とか、ホント面白い。
こちらの桂坂も
由来は、かつて蔦葛(つたかずら)がはびこっていたから、また、鬘をかぶった僧侶が品川からの帰途、急死したことによるともいわれる。桂はよい字を当てたもの。
~Wikiより引用
と言うものだったりするし、私が昔よくお伺いしていた豊川稲荷東京別院の前には九郎九坂という坂があったり、広尾から麻布十番のあたりなんぞは、ホント面白い程、坂がある。
そしてこの高輪エリアと言うのは、東京でも高級住宅街として有名な土地であり、やはりこの坂を歩いているだけでも、お金持ちの雰囲気がバリバリと伝わってきた訳でして(笑)
そして坂を登りきる位のところで、高野山東京別院の看板を発見。
こちらは高野山東京別院の駐車場の入口。
更に歩くと高輪警察署に差し掛かるので、そこを左手に曲がると、高野山東京別院に到着。
高野山東京別院
山門には合掌礼拝入山門と書かれていた。
高野山東京別院 山門
境内にお邪魔すると、雨と言う天気もあったのだろうか?日曜日の真昼間だというのに参拝客の姿は無く、それは静かなところだった。
そして山門を潜ると右手は四国八十八カ所お砂踏み場があった。
四国八十八ヶ所のお砂踏み
そして弘法大使像があったので、こちらにお招き頂いた事に感謝してお参りさせていただいた。
弘法大使像
そして神様の雰囲気が漂ってきたので、そちらの方を見ると、明神社という神社があった。
明神社
平成二十七年は弘法大師が高野山を開創されて千二百年に当り、本山では中門再建を始めとする各種の記念事業と四月二日から五月二十一日までに五十日間の大法会が行われ無事成満しました。
東京別院では本山の成満を待って記念事業を発願し、檀信徒各位のご寄進を仰いでいくつかの事業を進めました。その一つとしてこの明神社を建立・勧請いたしました。
平成二十七年十月十六日に丹生都比売神社の宮司様より鎮座祭を執行、翌日十月十七日萬燈萬華法会の日、同宮司様と管長猊下により奉祝祭と開眼法会が神仏混淆で奉修されました。
明神社に参拝の折は「南無大明神」とお唱えしてお参り下さい。
と案内版は書かれていた。
東京で高野山の四社明神がお祀りされているところがあるということを知らなかった自分の無知を恥じると同時に、逆にこれで東京でも四社明神様のところにお参りできるということを知ることが出来ただけで私にとっては大収穫だった。
手水もあるので、浄めさせていただいて
本当にこちらにお招きいただいたことに感謝してお参りさせていただいた。
一人勝手に興奮しながら、境内を歩くと、すぐそばに不動堂があった。
不動堂
中に入ってお参りしても良いということだったので、靴を脱いでお邪魔させていただく。
お不動様のお姿を拝見させていただき、そしてこちらにお招きいただいた事に感謝して真言を唱えさせていただく。目を瞑って祈りを捧げていると、御護摩などは焚かれていないのにも関わらず、目前で火が焚かれているかの如く、火の力と光を感じ、そして、御護摩特有に香りを感じることが出来た。
まぁ気のせいかもしれないんだけれども、、、
そして、不動堂を後にして、遍照殿へと向かう。
遍照殿
中にお邪魔すると、これまた誰も居なかった。
ロウソクを捧げ、そしてお大師様像の前で南無大師遍照金剛を唱えて、こちらにお招き頂いたことに感謝してお参りさせていただいた。
このお堂の中には閻魔様や賓頭盧尊者様もいらっしゃったので、同じくお参りさせていただいた。
やっぱり、そろそろ高野山にお伺いしなくてはならない頃なんだろうと思いながら。。。
そして寺務所で御朱印を頂戴した。
対応して下さった係りの女性の方が本当に物腰の柔らかい、素敵なお方で、こういう方に対応していただけた事だけでも、高野山東京別院という場所の素晴らしさを身に沁みて感じることが出来た。
御朱印を書いていただいている間、お守り等の授与品を眺めていたら、大師香というとても香りの良いお線香と、そして塗香があったので、これらも頂戴することにした。
こちらの塗香は京都の松栄堂さんの塗香で、本当に良い香りがした。
そして高野山東京別院を後にする。
高野山自体には何度かお伺いしたことはあるけれども、今回東京別院には始めてお伺いした。
東京別院も日頃のお参りをするには良いところだと感じたけれども、やはり本山のある高野山という土地に行かなくては、ということを、何故かひしひしと感じている自分が居た。