南無大日大聖不動明王~成田山新勝寺にお伺いしました

平和の大塔に到着。

事前に余り調べて居なかったので、三重塔のようにただ塔があるのだと思いこんでいたけれども

こちらの1階は霊光殿や写経道場があり、2階には明王殿があるということを知る。

中に入ろうと思ったら、御朱印の待ち時間の案内があった。

120分以上ってすごいなぁと思いつつ、中に入る。

最初に御朱印をお願いするために、お守り等授与所で御朱印帳を預けて、そのまま2階へと向かっていく(こちらの平和大塔内も写真撮影禁止でしたので、写真はナシです)

明王殿とは?と思いつつ、靴を脱いで2階へと続く階段を登って行き、明王殿の中に入ると、そこは高野山の根本大塔に瓜二つの空気感だった。

根本大塔と同じように内壁には空海さんや恵果阿闍梨様など真言八祖像などが描かれている。

そして根本大塔内陣の立体曼荼羅と同じような構図で、不動明王様(大日大聖不動明王像)を中心に五大明王様が安置されていた。

根本大塔の大日如来様が、青色の不動明王様に入れ替わっただけのような印象を受けてしまったほどに、その余りにも根本大塔を思わせる神聖な雰囲気に、しばし固唾を飲んでしまった程だった。

こんな素敵な場所が関東にもあったなんて、と正直驚きを隠せなかった。

中心にいらっしゃる不動明王様の前には、きちんと塗香も用意されていたので、そちらで全身を清めさせていただき、こちらにお招きいただいたことに感謝してお参りさせていただいた(個人的な感想ですが、こちらの不動明王様も、はっきり言ってとてつもないお力がございます)

そして、しばし不動明王様の前でお祈りさせていただいた後に、1階へと戻る。

1階には大絵馬・書画など成田山関係の美術品を展示している霊光殿という博物館のようなものがある。

こちらも見学させていただいたのだけれども、市川團十郎についての資料などがある中、私が最も印象に残ったのは、祐天上人様に関する画だった。

この画は、祐天上人様の不動信仰の奇譚を示している、とても不思議な画だったりする。

祐天は増上寺大三十六世で、江戸時代、「生き仏」と称されたほどの名僧である。陸奥国磐城(福島県)の生まれで、十二歳のときに江戸に出て増上寺に入り、檀通上人のもとで学業に励んだ。六字名号を書いて民衆教化に尽くしたほか、信施の私財を投じて奈良大仏・鎌倉大仏の修繕を行った。また数多くの廃寺を復興し、仏像を修復した。

祐天には不動信仰にまつわる次のような有名な伝説が残されている。――祐天は生来、物覚えが悪かった。得度して師僧の壇通から浄土三部経の経文を教わったが、一字も覚えることができなかった。悩んだ末、増上寺開山堂に籠って断食修行をしていると、「成田山の不動尊のところへ行け」という霊告を受けた。

盗賊に身ぐるみ剥がれながらやっとの思いで成田山に着き、祐天は決死の覚悟で断食道場に入った。満願の日、一天にわかにかき曇り雷鳴がとどろき渡ったかと思うと、別当の僧の姿が不動尊に変わった。不動尊は両の手に長短二振りの剣を引っさげて、祐天にこう告げた。

「お前は前世の罪のために文字の読めない者となったのだ。知恵を授かりたいなら、長短の剣のうち一振りを呑んで悪血を吐き出すがよい。長い剣と短い剣と、どちらを呑むか」。

「どちらを呑んでも死ぬのは同じです。ならば長剣を呑みます」と祐天が答えると、不動尊は長い剣で彼の口を貫いたので、祐天は息絶えた。

ところが、絶命したはずの祐天はまもなく息を吹き返し、周囲の僧が般若経を読んで聞かせたところ、一度聞いただけで一字の間違いもない覚えてしまったのであった――。

~『不動信仰事典 (神仏信仰事典シリーズ)』より引用

この画はその祐天上人様の口にお不動様が剣を貫いているというとても、ある意味残酷なシーンが描かれているものだったけれども、グロテスクなものは一切感じさせない、美しい信仰心を表しているように感じてしまう程、とても不思議な画だった。

そして御朱印帳をピックアップして、平和大塔を後にした。


帰りの道すがら、大本堂裏手を通ると八大童子や三十六童子

そして不動明王様のお姿が目に入った。

しばし眺めていたら突如としてネコさんが登場して、流れ出ているお水をグビグビ飲んでいた(爆)

ホント猫って自由だなぁーと思いつつ、左側に目を向けると役行者さまがいらっしゃってびっくりしてしまった(爆)

大本堂裏手には、大日如来様もいらっしゃったので、こちらにお招きいただいたことに感謝してお参りさせていただいた。

そして総門へと戻る道すがら、聖徳太子堂があったのでお参りさせていただき

聖徳太子堂

石段を下って行くとお地蔵様がいらっしゃったので、こちらにもお参りさせていただく。

開運地蔵尊

石段を降った先には水行場があった。

水行場

そしてこの水行場の隣にあるのが参籠殿。

参籠殿

成田山は断食修行が出来るところとしても有名で、成田山とググると、「成田山 断食」というキーワードが出る。

不動信仰事典 (神仏信仰事典シリーズ)』の中にも歴史上の不動信仰者として二宮尊徳や倉田百三などの名前が掲げられており、どちらも成田山で二十一日の断食参籠を行ったと記載されている。祐天上人様も成田山で断食修行されたというのは先に記述した通りだけれども、これらの奇譚談を読むと、こちらでの断食修行は本当に霊験あらたかなのかも知れないと思ってしまう程だったりする。

しかしながらネットなどで成田山の断食について調べると、成田山の断食は、普通の断食道場が行っている葛湯や野菜ジュース等でファスティングするというものではなく、本当に水以外のものが摂取出来ないガチの断食らしい(爆)

私も自己流ながら3日間断食をしたことがあるので、断食の辛さというものは重々承知はしているけれども、お不動様の庇護の元に行う断食というものにはチャレンジしてみたいとは思っている。

ただ最低でも2泊3日からの受付ということも考えると、まとまった休みが取れない限り無理かなぁとは思ったりして(←ちょっと逃げ腰―笑)

そして近くの阿弥陀堂にもお参りさせていただき

阿弥陀堂

総門近くの弁天堂・大師堂にお参りさせていただいた。

弁天堂

弁天堂の池ではカメさんが甲羅干しをしてました♡

大師堂

そして成田山新勝寺を後にした。

今回は時間が足りなくて併設されている成田山公園や仏教図書館、書道美術館などにはお伺いできなかったので、また是非とも成田山にお参り出来ればと思っております。

その位、私の中で成田山は本当にとても素晴らしく良いところだと実感したこと、そして本当に、お不動様のお力というのは、とてつもなくスゴイものだと改めて認識させられた次第でございます。

南無大日大聖不動明王


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