徳大寺から目指すは寛永寺清水観音堂。
上野公園は、かつて寛永寺の大伽藍があったけれども、江戸時代末期の彰義隊の戦いにより焼失してしまったという場所だったりする。
神社仏閣めぐりをする以前から動物園や美術館に行くなどして、足を運んだ場所ではあるものの、神社仏閣めぐりが目的でこの場所に赴くということは初めてだった。
最初に辿り着いたのは彰義隊の墓だった。
彰義隊の墓
そして歩みを進めると、寛永寺清水観音堂に辿り着いた。
寛永寺 清水観音堂
こちらも御多分に漏れず、外国人観光客が多い場所だけれども、京都や奈良の有名神社仏閣で見る外国人観光客とは違った印象を受けた。
浮かれまくって神社仏閣という土地で記念撮影バシバシという雰囲気ではないカンジというか、、、早い話、そんなに嫌なカンジがしなかったということでして。
手水で清めてお堂に向かう。
手水舎
寛永寺 清水観音堂 本堂
京都の清水寺を模して、上野摺鉢山に寛永八年(1631)に建立されたものが、安永七年(1776)に現在地に移築された。本尊の千手観音菩薩は『往生要素』を著わした恵心僧都源信の作と伝えられ、元は京都清水寺の観音堂に安置されていたが、寛永寺の開祖・天海僧正がこの観音堂建立に当り、献上されたものといわれている。
この尊像は主馬盛久(平盛久)が深く護持していたもので、盛久が捕らわれ斬首の罪に処せられようとしたとき、千手観音の加護によって一命をとりとめたといわれている。
千手というのは無限の意味で、数限りない人々の苦悩を救い、諸病平癒、延命長寿などの霊験も多い。
~江戸東京ご利益散歩 (とんぼの本) より引用
こちらにお招きいただいたことに感謝してお参りさせていただくと、観音様独自のお優しい雰囲気が漂ってきた。
本当に観音様というのは、お優しい。
私も観音様のおかげをいただき、もっと人にやさしくなれるようにと願った。
こちらは京都の清水寺を模しているということだけれども、やっぱり京都の清水寺の雰囲気とはちょっと違うものを感じたりした。
けれども舞台造りのお堂からは風流のあるものが眺められたりして。
月の松
江戸時代の浮世絵師、歌川広重の代表作の一つで連作の「名所江戸百景」で描かれた「月の松」が約百五十年ぶりに復活したものだということです。
そしてお堂の中にある納経所で御朱印を頂戴して、境内を散策する。
小さいお堂だけれども、とてもお優しいものを感じた。
そして、次に不忍池辯天堂を目指した。
月の松は遠目で見た方がより一層美しいかもしれない、なんて思いつつ。
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