お声掛けをいただいて風の森神社へ~葛城古道を歩く【その9】

高鴨神社23

高鴨神社から風の森バス停を目指して歩く。

16:29発のバスを逃すと、次のバスは1時間後。

どうしてもこのバスを逃したくなかったので、競歩並みのスピードで歩く(笑)

しかしながら、途中で神社の雰囲気がした。

風の森神社

こちらは神社なのかしらん?と思いつつ、スルーしようとしたら「こっちに来なさい」という声がした。

いやいや、16:29のバスを逃したくないので時間が無いのです、とお伝えすると、そのバスには乗れるようにするから、とにかく寄っていけ、という声。

腹をくくって、石段を登る。

風の森神社1

すると、やはりこちらに神社があった。

風の森神社

風の森神社2

本社は、御所市大字鴨神、旧高野街道 風の森峠に位置しています。

御祭神は、志那都比古神をおまつりしています。志那都比古神は風の神であり、古事記、日本書記には、風の神に因んだ事柄が記載されています。

又、葛城地方は、日本の水稲栽培の発祥の地ともいわれており、風の神は、五穀みのりを、風水害から守る農業神としてまつられています。

日本では、古くから風の神に対する信仰があり、毎年旧六月には、各地で薙鎌を立てて、豊作を祈る風祭が行われています。

と書かれていた。

小さなお社。

風の森神社3

華美なものは一切ない。

けれども、とても素朴なものを感じて、こちらにお招きいただいたことに感謝してお参りさせていただいた。

こちらの御祭神は、志那都比古神さま。

私が大好きな伊勢神宮の風日祈宮の御祭神でもいらっしゃる。

シナツヒコは、日本神話に登場する神である。『古事記』では志那都比古神(しなつひこのかみ)、『日本書紀』では級長津彦命(しなつひこのみこと)と表記され、神社の祭神としては志那都彦神などとも書かれる。

『古事記』では、神産みにおいてイザナギとイザナミの間に生まれた神であり、風の神であるとしている。『日本書紀』では神産みの第六の一書で、イザナミが朝霧を吹き払った息から級長戸辺命(しなとべのみこと)またの名を級長津彦命という神が生まれ、これは風の神であると記述している。シナトベは、神社の祭神としては志那戸辨命などとも書かれる。

神名の「シナ」は「息が長い」という意味である。古代人は、風は神の息から起きると考えていた。風は稲作に欠かせないものであるが、台風などの暴風は人に大きな被害をもたらす。そのため、各地で暴風を鎮めるために風の神が祀られるようになった。

『日本書紀』のシナトベは女神とされることもあり、神社によってはシナツヒコの姉または妻とされている。本居宣長の『古事記伝』では、賀茂真淵の説として、本来は男女一対の神であり、それが同一の神とされるようになったとしている。龍田大社(奈良県生駒郡)の祭神は天御柱命・国御柱命であるが、社伝や祝詞では天御柱命は志那都比古神、国御柱命は志那都比売神(しなつひめのかみ)のこととしている。志那都比古神は男神、志那都比売神は女神である。

伊勢神宮には内宮の別宮に風日祈宮(かざひのみのみや)、外宮の別宮に風宮があり、どちらも級長津彦命と級長戸辺命を祀っている。風日祈宮は元々「風神社」と呼ばれていたが、元寇の際に神風を吹かせたのは風神社の神であるとされたことから、「風日祈宮」の宮号が宣下された。

風の神であることから、航海安全の神ともされる。また、「風」と同音・同根である「風邪」を治す神ともされる。

wiki より引用

これから新たなものに向かっていかなければならない私には、訪れる必要のある神社だったということを、今更ながら感じてしまった訳でして。。。

神社仏閣というものは、やはり訪れる必要がある時に、訪れる必要があるタイミングで呼ばれるものだということを改めて実感してしまった。

こちらでお参りさせていただいたことで、時間をロスしてしまったこともあり、16:29発のバスに乗ることは諦めていた。

なので、バス停で時間を潰せばイイヤと思って、バス停に向かう。

風の森神社4

風の森神社5

バス停に到着した時には16:30を過ぎていた。

けれども、バス停に到着して数分すると、近鉄高田駅行きのバスが到着した。どうやら雨だったせいで、バスが遅れていたらしい。些細なことだけれども、神業としか思えなかった自分が居た。

そして、おまけに当初予定していた16:56発のJR御所駅から奈良方面に行く電車にも間に合ってしまった。

このJRを利用するのが御所駅から奈良駅まで行くのには、最短ルートなのだけれども、これまた1時間に1本程度しかなく、近鉄御所駅からも奈良方面には戻れるのだけれども、JRよりも時間もお金もかかるので、JRを利用したいと思っていた。

全ての乗り換えのタイミングの良さに、上手く行く時というものは、全てが上手く行くということを学んだ。

そして、神様のお言葉を信じることの重要さを学んだ、葛城古道の旅だった。

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