今回、伊勢に行くことを決めた時に、こちらにもお伺いしようと何故か思った。
ガイドブックなどを見ていて、一度はお伺いしてみたいと思った神社だった。しかし、駅から徒歩45分などという案内しか見ていなかったので、運転免許を持っていない私は気軽に行ける場所ではないと思って、これまでお伺いするチャンスは無かった。
けれども、今回、なんやかんやで辿り着いてしまった。
しかも徒歩で(爆)
奈良県南部の御所市高天。
金剛山の麓に広がる台地上に位置する。古くは葛城といわれた地域で、そこにそびえ立つ金剛山は、古くは高天原山といわれていた。
付近は天上の神々が住んだ高天原の伝承地で、ここに所在する高天彦神社は延喜式では最高の社格とされた名神(みょうじん)大社で、祭神は葛城氏の祖神高皇産霊(たかみむすび)神。社殿後方の白雲峯(694m)を御神体とする。
参道の両側には杉の古木が立ち並び、神さびた雰囲気を漂わせている。
古典作品では、『蜻蛉日記』にて『夢ばかり見てしばかりにまどひつつ明くるぞ遅き天の戸ざしは(203-05下)』という和歌があり、さらにこれに続く和歌として『さもこそは葛城山に馴れたらめただ一言や限りなりける(203-07下)』とあることから、天岩戸が葛城山にあったとする理解は遅くとも平安時代まで遡ることが解る。
鎌倉時代の『三流抄』には『太神・・・大和国葛城山高間原天岩戸ニ閉籠リ玉フ』とあり、また能の葛城や代主などの舞台もこの地とされることから、中世における高天原の所在地は葛城山付近と理解されていたと考えられる。
最終的には江戸時代初頭まで、新井白石が常陸国説を唱えるまでは、この地が高天原史跡だと考えられていたらしい。なお、高天原の石碑はこの地区にある寺の駐車場のところにある。
~Wiki より引用
しかしながら、高天彦神社に辿り着くまでが、大変だったりして。。。
名柄方面から歩いていくと、ずっと坂道を歩いて行くような格好となり、そんなに急勾配ではない坂道なのに、何故かとてもキツク感じた。
そして、ようやく高天彦神社という石碑を目にする。
ここからは山道を登っていく。
整備された道なので、そんなに歩きづらいということは無かったけれども、ずっとウォーキングをしていた身には結構応える道だった。
まぁ最大の要因は、この日雨が降っていたので、体力を余計消耗していたということに尽きるのだけれども。。。
雨が降っていたせいか、ガスがかかったことにより、神秘的な雰囲気を醸し出していた。
誰も居ない雨の中を歩く。
怖い、という感情も無いと言えばウソになるけれども、それよりも、足を前に進めることだけで精一杯だった。
そしてまたもやイノシシ除けの柵を発見(爆)
ここから先が、最近では人が歩いていなかった様子で、草がボーボーの中を掻き分けながら歩くと言ったカンジで、本当にこの道で良いのかと不安がよぎったりした。
すると、鶯宿梅という看板が目に入った。
鶯宿梅
昔、高天寺の小僧が若死したので、その師が嘆いていると梅の木に鶯がきて、「初春のあした毎には来れども、あはでぞかへるもとのすみかに」と鳴いたことから、この梅を鶯宿梅と呼ぶようになった、ということだった。
もうこの地点に到着した時には、ヘロヘロになっていて、早くお風呂に入ってさっぱりしたいとか、そういう俗っぽいことしか考えていなかったのだけれども(笑)、こちらの参道を見たら、途端に目が覚めたように元気になった。
高天彦神社 参道
そして、グイグイ引っ張られるような格好で、参道を歩いている自分が居た。
まるでこの参道を歩いているだけで、自身に纏わりついていた嫌なものが全て消されているような感覚を覚えたのも事実であって、こちらは、こういう言い方は失礼なのだと重々承知しているけれども、まさしく、パワースポットなんだということを感じた。
高天彦神社
そして素朴な手水で清めて、境内の中に入る。
お伺いしたタイミングなんだろう。
こちらにも誰もおらず、一人参拝する格好となった。
その重圧さに、思わず息をのむ。
狛犬さんたちにもご挨拶して
拝殿へと進む。
拝殿を写真に収めると不思議なカンジのものが映る。
まるで神様が降りて下さって来たように感じながらも、こちらにお招きいただいたことに感謝してお参りさせていただいた。
お待ち下さっていた、ということを、何故か感じてしまった。
境内には様々な神様が御鎮座されていて
これらのお社にも、お招きいただいたことに感謝してお参りさせていただいた。
そして、こちらにも蜘蛛塚があった。
そして、境内にあった休憩所で、一息つく。
こちらの休憩所には高天彦神社について詳しく書かれているものがあるのだけれども、御祭神の高皇産霊尊についての記述が印象に残った。
人間初めて、全て生物は蒸(むす)されているから体温が有り、生命がやどり維持されていると言われます。
この様に万物の誕生、育成、発展を司る神様として、古代より崇拝されている高天彦大神です。
しばらくこの休憩所に腰かけて、ずっと拝殿を眺めていた。
雨の降る音しか聞こえてこない贅沢な時間を境内で過ごせたことに感謝するしかなかった。
しかし、この時点で15時を過ぎていたので、そろそろ下山しなくては、と境内を後にする。
そして、境内を出た左手には幸せを呼ぶカエル石というものがあったので、手を触れて幸せになれますようにと願ったりした(↓この石は、クレクレ的なものを全く感じなかったので)
境内を後にして、改めて周囲を見回すと、素朴だけれども、とても美しい景色が広がっていた。
ここが高天原伝承地と言われているのも、何となくうなずけるような神さびたとても良い神社だった。