葛城一言主神社に到着。
各地の一言主大神を祭神とする神社の総本社。
この神社は願い事を一言だけ聞いてくれる「一言(いちごん)」さんと呼ばれて親しまれ、「無言まいり」の神として広く信仰されている。社が鎮座しているのは、雄略天皇が葛城山で狩りを行った時、この神が神降(かみたち)したと伝えられる場所。古事記によると、一言主大神は自ら「吾は悪事(まがごと)も一言、善事(よごと)も一言、言離(ことさか)の神、葛城の一言主の大神なり」と神力を示し、天皇から武具や衣服を献上されたと伝えられている。
境内には大きな木が多く、特に樹齢1200年の乳銀杏が色づく秋はすばらしい。拝殿も大きく、本殿も木々に埋もれて見えないが、450m西方には奥宮の磐座があり、神聖視されている。
また、拝殿の横にある蜘蛛塚は、神武天皇の頃に土蜘蛛という部族が抵抗したため、葛の網をかぶせて殺したことに関係があるとされている。この一言主の神は、修験道の祖といわれる役行者に葛城山と吉野金武峰山を結ぶ橋をかけるよう命じられたが、顔が醜いので夜しか働かず、完成しなかったとの伝説も残されている。
境内に建てられた「なほみたし 花に明け行く 神の顔」の芭蕉の句碑は、その故事にちなんだものだ。
~近畿日本鉄道 スポット情報 一言主神社 より引用
こちらを訪れる前の私の一言さんの知識と言えば、役行者さまとのエピソード位しか知らなかった。
役行者さまが流刑になった原因を作った神様、っていうイメージしかなかったので、どんな神様なんだろうとは思っていたのもあって、一回は訪れたい神社だった。
古事記』『日本書紀』などに登場する託宣の神。
『古事記』によれば、雄略天皇が葛城山に登ったとき、天皇の一行と何から何までよく似た一群が山に登ろうとしていた。
誰かと問うと、凶事も吉事も一言でいい放つ葛城の一言主神だと答えたので、天皇が畏れて種々の物を献上すると、神は喜んでそれを受け、山の入り口まで天皇を見送ったという。
なお、役行者が鬼神らに金峯山と葛城山の間に橋を架けろと命じたときに、役行者が朝廷を傾けようとしていると一言主神が託宣したので、一言主神は役行者によって呪縛されたという話が『日本霊異記』『今昔物語集』にみえ、この神に対する人々の意識の変遷を知ることができる。
現在の奈良県御所市森脇の一言主神神社に祭られる。
<参考文献>松村武雄『日本神話の研究』4巻,西郷信綱『神話と国家』
~コトバンク 一言主神とは より引用
とても良い雰囲気が漂ってきていた。
期待に胸弾ませて、石段を登ろうとすると、右手に手水があったので、こちらでまず清めて
祓戸神社があったので、こちらでお参りさせていただく。
祓戸神社がある神社は良い神社である確立が多いので、自分の中で期待値が大きくなっていた(笑)
石段を登る。
運気向上ってダイレクトに書かれているよ~と思いつつ。
そして石段を登り切ると、そこには清々しい空気感に包まれていた。
そして拝殿で、こちらにお招きいただいたことに感謝してお参りさせていただいた。
葛城一言主神社 拝殿
東京から来ましたキセキレイというものでして~と自分自身について説明していたら、とても明るいカンジの神様がお出ましになって「で、何を叶えたいん?」とカジュアルに言われた(爆)
なので、自分自身の願望について、はっきりと一言でお願いさせていただいた。
すると「よっしゃー、その願い叶えたるわー」と言われた。。。
(ええっと、これは私が感じただけなので、当てにしないで下さいまし)
けれども、よくよく考えたら、人間社会でも、はっきりと自分の要求をストレートに言う方が、グダグダ愚痴なんか言って、自分の気持ちを察して欲しいなんて遠まわしの要求をするより、よっぽどスムーズに事は進むし、お互いの時間もロスしなくて済む。
ましてや、神様の前では、本当に自分が望んでいることをはっきりと申し上げて、お願いする方が、神様には喜ばれるのではないかと思ったりした。
そして境内を散策。
御神木
こちらにも祓戸社があったりして。
6月に神社仏閣にお伺いすると、アジサイが美しく咲き誇っている姿を見る事が出来るのもイイカンジ。
至福の像
ボケ封じのご利益のご利益があるそうです。
境内を歩いているとこちらにも手水があったりして、
そしてお稲荷さんや
神功皇后社・八幡社
住吉社
天満社
市杵島社
などなどの神様が御鎮座されていた。
これらすべてのお社の榊が青々と輝いていたのが、きちんとお祀りされている証拠だなぁと思いつつ、それぞれのお社でお招きいただいたことに感謝してお参りさせていただいた。
そして、こちら特有の場所に。
蜘蛛塚
土蜘蛛というものは、
土蜘蛛の中でも、奈良県の大和葛城山にいたというものは特に知られている。大和葛城山の葛城一言主神社には土蜘蛛塚という小さな塚があるが、これは神武天皇が土蜘蛛を捕え、彼らの怨念が復活しないように頭、胴、足と別々に埋めた跡といわれる。
大和国(現奈良県)の土蜘蛛の外見で特徴的なのは、他国の記述と違い、有尾人として描かれていることにもある。
『日本書紀』では、吉野首(よしののおふと)らの始祖を「光りて尾あり」と記し、吉野の国樔(くず)らの始祖を「尾ありて磐石(いわ)をおしわけてきたれり」と述べ、大和の先住民を、人にして人に非ずとする表現を用いている。
『古事記』においても、忍坂(おさか・現桜井市)の人々を「尾の生えた土雲」と記している点で共通している。
~ Wiki より引用
と説明されている。
『大人の探検 妖怪』という本には、土蜘蛛について
異文化を持った人々を鬼と呼んだり、「土蜘蛛」と呼んだりしたのです。この土蜘蛛も後に妖怪化されました。興味深いのは、そういう「鬼」という言葉の使い方を逆手にとって、自ら鬼を自称して、職業を特権化した人たちがいることです。
鬼は、権力に屈した後は、異能の力を持った特殊な集団として、権力者に囲われ、使役されました。これは時代が下れば保護されているのと同じであり、鬼のブランドとして、一定の収入が約束されます。
「九鬼」さんとか、名前に「鬼」が付く人々はその末裔かもしれません。「鬼」の字が「木」に変わっている場合も多いのですが。
という風に書かれていたりする。
ここが日本の始まりの場所ということを想像してみると、土蜘蛛というものが、想像上の単におどろおどろしいものではなくて、とある民族の象徴だったのかも知れない。そして、そのある民族を封じて、その民族が復活しないように、こういったものを作る必要があったのかも、なーんて考えてみたら、ウヒョーという気分になったりした。
そして社務所で御朱印を頂戴した。
こちらの御朱印は全てスタンプというものだったけれども、別にそんなことは気にならなかった。
それだけ社務所で対応していただいた方の印象が良かったということもある。
そして葛城一言主神社を後にして、石段を降ったところ右手にあるのが亀石。
葛城一言主神社 亀石
こちらでもお参りさせていただいた。
そして、葛城一言主神社から真っ直ぐ歩いていく。
とても素敵な参道だった。
こちらにも蜘蛛塚があったので、ちょっとビビリ(笑)
思いのほか長い参道を歩く。
そして長柄方面へ向かって行った。