<横川エリア>神仏に全てを委ねる・元三大師堂~比叡山延暦寺に行ってきた【その7】

比叡山横川元三大師堂1

元三大師堂へと続く道を歩く。

そして元三大師堂に到着。

元三大師堂

比叡山横川元三大師堂4

比叡山横川元三大師堂2

この独特の降魔像についての説明が書かれている石碑。

永観二年(984年)、全国に疫病が流行してちまたでは疫病の神が徘徊し多くの人々が次々と全身を冒されていた。

お大師様はこの人々の難儀を救おうと大きな鏡の前に自分のお姿を映されて静かに目を閉じ禅定(座禅)に入られると、お大師様の姿はだんだんと変わり骨ばかりの鬼(夜叉)の姿になられた。

見ていた弟子の一人明普阿闍梨だけがこの姿を見事に写しとられた。お大師様は写しとった絵を見て版木でお札に刷るように命じられ自らもお札を開眼された。

出来上がったお札を一時も早く人々に配布して各室の戸口に貼りつけるように再び命じられ、病魔退散の実を見事に示された。やがて、このお札(角大師の影像)のあるところ、病魔は怖れて寄りつかず一切の厄難から逃れることが出来た。

以来、千余年、このお札を角大師と称し元三大師の護符としてあらゆる病気の平癒と厄難の消除に霊験を顕し、全国的に崇められている。

と書かれていた。

比叡山横川元三大師堂3

境内に入り、まずは手水で清めて

比叡山横川元三大師堂5

比叡山横川元三大師堂6

靴を脱いで、今回こちらにお招きいただいたことに感謝してお参りさせていただいた。

お参りさせていただくと、とても、優しいお方がいらっしゃるように感じた。

すると他の参拝客がお御籤を引かせていただきたいということで、お寺の方といろいろ話している声が聞こえてきた(※こちらのお御籤は、まずお御籤でお伺いしたい内容をお寺の方に話して、お御籤でお伺いを立てる内容に値するとなると、初めてお御籤が引かせて頂けるものだったりする)

その参拝客の相談内容を聞く限りでは、「次に行けってことでしょ?」と感じたけれども、見ず知らずのお嬢さん方にイキナリ他の参拝客がアドバイスしてもねぇ、と思ったので黙ってはいたけれど。

そんな会話に耳を傾けながら、お守り等授与所で御朱印を頂戴して、窓口の方とお寺の方と話をさせていただいた。

誰もが読むブログなので、詳細は書けないけれども、こちらでお話させていただいたことによる気付きが、私的には今回の旅の中で一番印象に残ったことだった。結局は神様や仏様に全てを委ねるということが、一番重要なのだということを改めて思い知った訳でして。。。

昔読んだ『霊能一代』という本にも

人間は自然なしに生きていくことができません。自然に感謝しなくては生きていけません。神様は手を合わせてもたれきったものには必ず応えられます。ですから信じてもたれきることが大切です。それが信仰というものなのです。

信仰とは、自分がお願いしたらまかせきることです。そうしていれば奇蹟も起こるのです。ただ、無理なお願いはしてはいけません。宝くじで一千万円当てたいとか、そういうった類いのことには当然のことですが応えて下さいません。それはたんなる欲にすぎないからです。

神様ごとは迷ってはいけません。「本当かな」と言ったり「できるかな」と言ったりしていると、聞いて下さいません。素直に従うことが大切です。するとできないんじゃないかと思っていたことでも実現してしまうのです。

霊能一代 より引用

*黒字は私が強調いたしました。

お忙しい時間を割いて、私と話をしていただいた事に感謝して、お堂を後にする。

悲しくも無いのに、涙があふれ出てきた。

自分は神様仏様を信じている筈だと思っていたけれども、「全てを委ねる」というところまでは出来ていなかったということに気付き、そして、そのことについてのメッセージを伝えるために、神様や仏様は今回こちらにお導きいただいたのだと、本当に実感出来た。

半泣き状態で、横川エリアを歩く。

比叡山横川元三大師堂7

箸塚弁財天

比叡山横川元三大師堂9

比叡山横川元三大師堂8

元三大師堂を後にした今となっては、お会いする神様仏様全てに感謝の気持ちしかわき上がらなかった。

比叡山横川元三大師堂10

比叡山横川元三大師堂11

比叡山横川元三大師堂12

比叡山横川元三大師堂13

比叡山横川元三大師堂14

誰一人としていない道を歩き、定光院(日蓮上人修行の地)へと向かって行った。

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