先月の三連休の中日に、日帰りで武蔵御嶽神社に行ってきた。そして、その後浅田次郎さんの『神坐す山の物語』を読んだ。
著者が幼い頃に祖母から聞いたお話が七つの短編として書かれているのだけれども、そのお話一つ一つ、とてもリアルに感じられた。
神仏を信じている人ならば、すんなりと受け入れられる話ばかりが描かれている。その舞台が先日お伺いしたばかりの御岳山という土地だったことが余計にリアルさを増して感じられた一因かも知れない。
この本を読んだら、もう一度武蔵御嶽神社にお伺いしなくてはならないような気になったのだった。
観光客が下山するような時刻に、御嶽駅に到着。
休日ともなれば、このホーム一杯に観光客や登山客が溢れかえっているけれども、平日の午後ということもあって、人はまばら。
前回来た時には、御嶽駅からバス停まで皆さんダッシュされていたので、私も同じようにダッシュしてバス停に向かった。なので、御嶽駅の写真を撮る余裕もなかったけれど(笑)今回はのんびりとしたもので、余裕で御嶽駅の写真とバス乗り場の写真を撮ることが出来た。
ケーブル下に行くバスには、私も含め乗車客は3人。
浅田次郎さんの本にもこう描写されている。
異界への旅はさらに続く。駅前から乗合バスでケーブルカーの山麓駅をめざすのである。多摩川を渡り、長い急坂を唸りながら登りつめた空を被う杉の森の中に、山麓の滝本駅がある。
そのあたりではっきりと神気を感ずる。気温が急激に下がるせいばかりではない。御嶽山には八百万の神が遍満していて、麓の森のそのあたりにまで、じっと蹲っているように思えるのである。
~神坐す山の物語より引用
バス停から勾配のキツイ坂を登ると、滝本駅が見えてくる。
確かに空気感が違って感じられる場所だったり、する。
ケーブルカーの出発時間までは時間があったので、土産物を見てみた。青梅市の銘酒「澤乃井」のお酒なども販売されていたので、欲しいなぁという気持ちになったけれども、行きから荷物増やしてどうするのよ、と一人突っ込みを入れて自粛。
生わさびも販売されているんですよ。
出発時間になり、ケーブルカーは出発。
ケーブルカーに乗車しているのは、私の他には、家族旅行風の外国人観光客が数名。
この日はとっても暑かったけれども、御岳山のケーブルカーにはクーラーがついていないので、乗車しているだけで汗が吹き出てきた。
途中下りのケーブルカーとすれ違います。
下りには人が沢山乗車していた。
御岳山駅到着。
滝本駅よりは、幾分涼しく感じられた。って標高831メートルだから当たり前か。
本日宿泊する宿坊には、ここから徒歩で20分程度歩かなくてはならない。けれども今回は旅行用の荷物を抱えていた為、産安社の参拝は諦めて素直に参道を歩いていくことにした。
途中歩いていた地元の人に「今日は暑いねぇ~」と声をかけられる。
いやいや、下界はもっと暑かったですよ~と言いたい気持ちを抑えて、本当に暑いですねーと返しておいた。
そしてようやく宿坊に到着。
希望としては、浅田次郎さんの本の舞台となったところに宿泊したかったけれども、おひとり様は受け付けていないようだったので、一人でも宿泊OKなこちらの宿坊にお世話になった。
部屋に入るともう布団が準備されていた(笑)
到着したのが16時前だったので、さっと武蔵御嶽神社にお参りに行こうと思ったけれども、宿のお母さんから、明日の朝に料金は¥500かかるけれども、宿坊経由で予約すれば、武蔵御嶽神社の朝拝に参列出来るので、それに参加すればいいのでは?というご提案を受けた。
まぁ時間も16時前という微妙な時間だったので、そのまま宿でのんびりすることにした。
お風呂に入り、夕ご飯をいただく。
自家製こんにゃくが美味しかった。
そして、宿のお母さんに、昨晩とても綺麗な満月が見られたので、今夜も見られるかもしれませんよ、と言われた。
そういえば、今日は満月の日だったのかぁ、と思った。
別に満月の日に来ようと思った訳では無い。8月はまとまった休みが取れる状況ではないのだけれど、御岳山には早めに来たかったので、むりくり時間を作ってやったきたのが、たまたまこの日であって、その日がたまたま満月の日だっただけの話で。
夕ご飯を食べ終わった時点で18:30。
特にアクティビティがあるお宿ではなかったので、時間を持て余す。
お部屋にテレビはあったけれども、テレビを見たいという感情は全く起こらずに、ずっと窓の外から御岳山の景色を眺めていた。
騒がしい音は全くしない。ただ、鳥達のさえずりだけが響いている。
そういえば、昔行った久高島もこんなカンジだったよな、と、ふと久高島のことを思い出したりした。
あそこは神様の島だから、いろいろ考えるように仕向けられることが多かった。
そして、ここは神様の山だから、同じように考えるようにと、こういった静寂の時間が今、自分にもたらされているのだと。。。
そして夜が更けてきた。
宿のお母さんが「満月が見えますよ」と声をかけてくれた。
玄関から外に出ると、とても綺麗な満月が輝いていた。
後でネットで調べてみたら、この日の満月はブルームーンとよばれるもので、ブルームーンを見ることが出来れば幸せになれると伝えられているということだった。
これを見ている時は、そんなことは露知らず、ただ綺麗なものが素敵な景色のところで見られてよかったなと思ったくらいだった。
部屋に戻ったら、部屋の窓からでも満月を見ることが出来た。
月明かりというのは意外に明るくて、部屋の照明もつけずに、ずっと満月を見ていた。
時間によっては、月から十字に光が出ているように見えたり、十字どころか至るところに光を放っているように見えたりした。
これは、神様が見させて下さっているのではないか?と思わずにはいられなかった。
神坐す山の物語
双葉社
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