これが、世の中、だ。

01

夕方に歩いていて、ふと空を見上げると、とても幻想的な光景だったので、思わずスマホでパチリとしてしまった。

02

龍が居るようにも見えたりする。

自然って偉大なだぁ、なんて思いつつ。

03

今月始めに伊勢神宮に久々にお伺いしたこともあって、神道について考えることが多くなってきた。

まるで3年前に神道にどっぶりだったような頃の感覚。

また、何かを想い出せと言われているようにも、感じたりする。

そんなこともあってか、本居宣長先生の『改訂版 玉くしげ – 美しい国のための提言(現代語訳 本居宣長選集 第1巻)』を何回も、何回も読む。

やっぱり私は日本人なので、海外発のスピリチュアルな考え方というのは、正直、信じられない。

何か良くないことが起きた時に、「日頃の行いが悪いから、そういうことが起きたのだ」と言う人も居る。けれども、日頃の行いが悪いから、というだけの理由ではない、何かの力が働いているようなことを感じることもある。

日頃の行いが良くても、憂き目にあっている人なんて、沢山、居る。

総じてこの世の中の事は、春秋の移り変わり、雨が降り風が吹く類の事、また国や人の上に起こる吉凶様々な出来事など、皆ことごとく神の御所為である。そして神には善い神も悪い神もいて、行いもそれに従うのだから、そもそも通常の道理では計り知ることは困難なのである。

ところが世の人は、賢い者も愚かな者も一様に、外国の様々な道の説にばかり惑わされて、その意(こころ)を知ることができない。皇国(みくに)の学問をする人などは、古書を見て必ず知らなければならない事なのに、そういう人々ですらか分かっていないということはどういうことであろうか。

そもそも吉凶様々な事を外国では、仏の道では「因果」とし、漢の道では「天命」と言って天の行為だと思っている。これらは皆誤りである。その中で仏の道の説は、多くの世の学者が(誤りと)よくわかっていることだから、今は言及しない。漢国の天命の説は、賢明な人も皆惑わされて、いまだに誤りであることに気付いている人がいないので、今これを論じてその愚を論そう。

そもそも天命ということは、かの国で古(いにしえ)に主君を滅ぼして国を奪った聖人が、自分の罪を逃れるためにつくり出した口実である。実際は天地は心のあるものではないので、命令があるはずもない。もし本当に天に心があり道理もあって、善人に国を与えてよく治めさせようとするのであれば、周の時代の末期(戦国時代)にも必ず聖人が出現したはずなのに、そなならなかったのはどういう訳か。
~『改訂版 玉くしげ – 美しい国のための提言(現代語訳 本居宣長選集 第1巻)』より引用

04

夕方見た空には、善神と悪神が拮抗しているような風景で、それはそれは美しかった。

これが、世の中、だ。

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