死んでもいいや、と思っていたことを思い出した。
今日は3月11日。
東日本大震災から4年が経過しようとしている。
あの大震災後に、「分かっている人々」は東京から離れろ、と口々に叫んでいた。
3年したら、東京に住んでいる人間のほとんどは死ぬだろう、という予言めいたことを言う輩も居た。
それを見た時には、あぁ、危ないのかも知れない、とは思った。
けれども東京を離れる気力もなかったし、金銭面でもどこか遠くに行くということも出来ない状況だった。
だったら、このまま東京で放射能にまみれながら死んでもいいや、と思っていた。
けれども、4年経過した今でも私は生きている。
人の生き死になんていうことは、誰にも分からないことだし
分かっている人だって、それを本人に告げてならないという、暗黙の掟がある。
昨日記事にした、『恐山』の本は、あとがきに東日本大震災について書かれていたこともあって、今日またページをペラペラとめくってみた。
恐山という場所は、死と近い場所ということもあって、この本を読むと、自分が何故生きているのか、ということを改めて考えたりした。
そして、この文章に触れて、自分は死んだらどこに行くのだろうと、ふと考え込んでしまった。
修行僧時代、出家してしばらくした頃、ある老僧に仕えていたことがあります。その老僧は数年前、九十歳過ぎて遷化(高僧の死去のこと)しましたが。
あるとき部屋に掃除に行き、終わって「下がらせていただきます」と頭を下げると、「おい、おまえ」「はい」「おまえは人が死んだらどこへ行くか知っているか」と唐突に老僧が訊いてきました。「そんなことは知りませんよ」と答えると、「ほう、おまえは坊主になってもう何年もなるのに、そんなこともわからんでやっとるのか」「老師はわかるんですか」「わしはわかる」と言うから、「へえ、人間歳をとると半分死んだ国に行くんですか」と軽口を叩いたら、「おまえは、そういうことを言うから修行が進まないんだ!」と滅法怒られました。
「すみません。それはぜひ聞きたい話なんで教えてください」とお願いすると、
「じゃあ教えてやろう。よく聞いてろ」
「はい」
「人が死ぬとな、」
「はい」
「その人が愛したもののところへ行く」
老師はそう言いました。「人が人を愛したんだったら、その愛した者のところへ行く。仕事を愛したんだったら、その仕事の中に入っていくんだ。だから、人は思い出そうと意識しなくても、死んだ人のことを思い出すだろう。入っていくからだ」
さらに、
「愛することを知らない人間は気の毒だな。死んでも行き場所がない」
と続けました。私は当時生意気でならしていた修行僧で、上の言うことなんかほとんど聞きませんでしたが、このときの老師の言葉には素直にうなずきました。その通りだと思った。「魂を育ててくれる」というのは、つまり、そういうことなんです。
~『恐山: 死者のいる場所 (新潮新書)』より引用
私が死んだら、どこに行くのかははっきり言って良く分からない。
ただ、私は、今も東京で生きている。