貴船神社本宮から歩くこと数分。
貴船神社中宮結社に到着。
結社(中宮)
結社(ゆいのやしろ)は、本宮と奥宮の中間、本宮から上流側300メートルの場所にある。その立地から中宮(なかみや)とも呼ばれている。磐長姫命を祭神とし、縁結びの神として信仰される。磐長姫命が縁結びの神とされることになった理由として次のような伝承がある。天孫瓊瓊杵尊が磐長姫命の妹の木花開耶姫と結婚しようとしたとき、姉妹の父の大山祇命は、磐長姫命も共に奉った。しかし、瓊瓊杵尊は木花開耶姫とだけ結婚したので、磐長姫命はそれを恥じ、「縁結びの神として良縁を授けん」と言って当地に鎮まったという。
以前は、境内の細長い草の葉を結び合わせて縁結びを願っていたが、現在は植物保護のため本宮で授与される「結び文」に願文を書いて指定場所に結ぶことになっている。境内には、「磐長姫命の御料船」として平成8年に奉納された船形の自然石「天の磐船」が置かれている。また、後述の和泉式部の歌碑がある。
~Wikiより引用
ということで、ご祭神が磐長姫命様という珍しいところ。
地上に君臨した瓊瓊芸命は、九州南西の笠沙の岬で美人と出会う。彼女は木花之佐久夜毘売といい、大山津見神の娘である。そこで瓊瓊芸命は、大山津見神に木花之佐久夜毘売との結婚を申し込んだ。天神の求婚に喜んだ大山津見神は、木花之佐久夜毘売とともに姉の石長比売をも差し出してきた。
しかし、姉は醜かったため、瓊瓊芸命は姉を送り返して、木花之佐久夜毘売とだけ結婚する。それを見た大山津見神は嘆いた。それというのも、その二女神たちは、瓊瓊芸命にとって重要な意味をもっていたからである。
まず、姉の石長比売は、岩のように不変なことを意味している。しかも、瓊瓊芸命の永遠の命を約束するものである。次の木花之佐久夜毘売は花が咲き誇るように繁栄していくものの、はかない運命の象徴でもあった。その姉を送り返したことにより、瓊瓊芸命の命は不変ではなくなってしまったのである。これが天皇の寿命が短くなったきっかけだという。
*『古事記』では石長比売、『日本書紀』・『先代旧事本紀』では磐長姫と表記されています。
簡単に言うと、磐長姫命様がお美しくなかった為、瓊瓊芸命様が木花之佐久夜毘売様だけと結婚した、という身も蓋もない話な訳でして、、、
男の人は女の人を外見で判断しちゃいかんよ、ということですね。
拝殿
こちらにお招き頂いたことに感謝して参拝させていただいた。
普段は縁結びの神様、ということでも、滅多に境内で絵馬など書いたりしない私が、ここでは「結び文」というものを書いて境内に結んでしまったくらい、お力を貸してくださるご祭神だと確信してしまった。
↓の台のところに、「結び文」があるので、初穂料を収めて、願い事をカキカキして
こちらに結んでおきました。
優しい神様だなぁーと思いつつ、境内を散策。
天乃磐船
とても綺麗だったので、思わず見入ってしまった。
御神木
そして、和泉式部の故事(和泉式部が夫の心変わりに貴船に参拝した際、貴船川を飛ぶ蛍を見て、歌に託して祈願したところ、願いが叶い、夫婦仲が元に戻った)を生んだのは結社、ということで、和泉式部の歌碑もあった。
和泉式部の歌碑