土地に呼ばれる、呼ばれない、というものがあるのならば、私は富士山にはちっとも呼ばれない人ですね~。世界遺産に登録されてからというもの、バスツアー等、東京からも気軽に行けるところにはなったけれど、そう気軽に行ってはイケナイ場所のような気がするのです。
加門七海さんの『霊峰富士の力 日本人がFUJISANの虜になる理由』という本を読んでみた。これを読んだら、ますます気軽に訪れてはイケナイ場所なんじゃないかしらん、と思ってしまった。
この本には、知らなかった富士山についての情報もあったり(←ご来光は、山頂では拝まないって知ってました?)、加門さんの本はどの本もそうなんだけれど、オカルト的なこともサラッと書いてあるので、そういうことが好きな人にはたまらない本なのです。
その中でも、私が一番この本を読んで、激しく同意してしまったのは、加門流「神社仏閣の参拝術」という一章なのでした。
加門流「神社仏閣の参拝術」
マナーはあるがマニュアルはない
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お祈りの方法も同様だ。名前と住所を告げてから祈れと言う人もあるけれど、役所の窓口じゃあるまいし、そんなに拘ることもない。
宗教家がよく言うように、私たちが神仏の配慮によって生まれ出て、「生かされている」存在ならば、己の子どもたちの名前を忘れるような親はいないだろう。
私も神社仏閣についてよくわからなかった頃、いちいち「何処何処から来ました●●です」、と心の中で告げていたけれど、とあるところに行ってから、それは止めました。
「知ってる」って声、「いちいち言わなくても、お前が来る事位、知ってる」って声がしたので。。。←信じるか信じないかはあなた次第(笑)
山中でのおしゃべりに注意
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マニュアルにはこだわらない私だが、マナーに関しては超うるさい。
ゴミは捨てるな、持ち帰れ。撮影禁止の場所で写真を撮るな。草木を採ったりむしるんじゃない。禁足地に入るな、馬鹿野郎!
これは聖地のみならず、どんな場所ででも言えることだ。
今年伊勢にちっとも行きたいと思わないのは、こういうマナーの悪い人を見るのが嫌だからという面も大きい。式年遷宮後に行った伊勢は、そりゃまぁ滅茶苦茶だった。
馬鹿みたいな大声でおしゃべりしながら参拝する奴、玉砂利の参道にペットボトル捨てる奴もいるし、御正宮写真に撮る奴とか(やれやれ)
今年いっぱいは無理かなぁ。。。
塩や酒をまき散らさない
もうひとつ、神社で気になるのは霊能者の真似事をする人だ。いや、真似ではなく、本人に訊けば「私は霊能者だ」と答えるのかもしれないが、どうかと思う人も多い。
ご神木に抱きついたり、石に手をかざしたり、鳥居を触って呻いてみたり、拝殿の前を占領し、長々と祝詞を唱えていたりする人に出会うと、正直、頭をはたきたくなる。
これは私が常日頃思っていたことを代弁していただいたように思えて、読んでてスカッとしてしまった(笑)
私が常日頃「イカスピ(=いかれたスピリチュアル)」と呼んでいる連中。式年遷宮後にも、外宮の下御井神社のお社に対して、手をかざしていたり、写真をバシャバシャ撮っていた連中が居たことを思いだした。
その手の人々は、何故か日中の一般の人が多い時間帯に出没して、己を「あっぴーる」するんですよね(笑)早朝の神社仏閣~例えば、朝5時台の内宮などでは、そういう人に会ったこと、ほとんどない。
寝てるんですかねぇ。。。
その他にも
- 神さまに叱られたこと
- 聖地とパワースポットの違い
- 日本の神さまは人間的
- 氏神さまは大家さん
- 夜の参拝はあり?
- お賽銭の私的解釈
- 願いごとを叶える裏技
- 神前に供えた御神酒はおいしい
- 聖地を定点観測する
- 自分の行きたいルートが一番
- パワフルな聖地は覚悟して行け!
- 人の信仰で神のパワーは増す
- 慈しみ深い山であれ
と、加門流「神社仏閣の参拝術」は続いていくのですが、読んでいると加門さんの神様と仏様に対する態度に、私はとても共感出来て、キチンとこういうことを語ってくれる人が居ることに感謝したくなるのでした。
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