ほんとうにそこに神様がいらっしゃる〜高麗神社

高麗神社の鳥居を潜る。

境内図を見ると、そんなに広くはない様子。

鳥居周辺には尾崎紅葉の献木や

参拝諸名士芳名にも太宰治や坂口安吾の名前があり

政治家だけではなく、作家の名前も多く見受けられたのが印象的だった。

社務所の一室で、私たちは持参のお弁当をひらいた。参拝の人々の記名帳をひらくと、阿佐ヶ谷文士一行が来ておって太宰治の署名もあったが、呆れたことには、参拝者の大部分が政治家で、特に総理大臣級が甚だ多く参拝している。私は妙な気持ちになって、
「どういうわけで、こう政治家がたくさん来るんだろう?」
と呟くと、宮司は笑って、
「当社のオ守りは総理大臣になるオ守りだそうで、いつから誰が言いだしたのか知りませんが、たまたま当社に参拝された方々から都合よく二三の総理大臣が現れて、政界に信心が起こったのかも知れませんな。この春は当時大臣の黒川さんと泉山六三さんが見えましたよ」
さては泉山大先生も総理大臣を志しているかと見受けられる。

〜『安吾の新日本地理 10 高麗神社の祭の笛――武蔵野の巻』より引用

石碑にもあるように716年(霊亀2年)に、駿河・甲斐・相模・上総・下総・常陸・下野の7か国に住んでいた高麗人(高句麗人)1,799人が武蔵国に集められ高麗郡ができ、高麗郡をつくった時のリーダーが「高麗王若光(こまのこきしじゃっこう)」

「高麗氏系図」によると若光が亡くなった際、霊廟を建てて「高麗明神」とあがめたことが高麗神社の始まりと考えられているという。

*高麗神社についてはネットで調べるといろいろ出てくるので、ご興味がある方はそちらでご確認ください。

e.g. https://adeac.jp/tsurugashima-lib/text-list/d100010/ht030050

手水で清めて

参道を歩く。

とても清らかで歩いているだけで気持ちが良い。

狛犬さん達にもご挨拶して

末社の水天宮の案内板があったけれども10分ほどかかるという事だったので、遥拝所からお参りさせていただいた。

皇室の方々も多く参拝されております。

本殿前に到着。

こちらにお招きいただいた事に感謝してお参りさせていただいた。

お守りや御朱印は参集殿でいただける。

お手洗いをお借りしたかったので、中に入ると祈願の受付が目に入り高麗神社の御祈願は玉串料(祈願料)の決まりはなく、お考え、お気持ちでお納めくださいとのこと。

ほとんどの神社仏閣は祈願するには幾ら以上という縛りがある中で、玉串料(祈願料or 初穂料)が決まっていないところと言うのは(私は)数える程度しか知らない。またこれだけの有名な神社で金額に決まりがないということに驚いた。

↓月次祭も誰でも参加出来るようです。

御朱印をいただいている参拝客に対して、神社の方が対応されている声が聞こえてきた。それは丁寧に接していらっしゃって、傍で聞いているだけでこちらも気分が良くなる程だった。

私の愛読本『大祓詞の解釈と信仰 (1962年)』にもこういう記述がある

この「高天原」というのは具体的に言えば天のことです。どうして天に神様がいらっしゃるのかというと、天はきれいなところ、美しいところです。神様というのは、ただいまお話し申し上げましたように「清く・正しく・睦まじく」なければならないことを教えられるのが御心でありますから、神様のいらっしゃる天は、当然清く美しいところであるはずです。だから、そうした所にこそ、ほんとうに親神様はいらっしゃるのであります。

これを具体的に、且つ現実的に言ってみるならば、神社というものは、清く、美しく、睦まじいこころを起こさせる所ですから、そこも高天原でなければならないと私は考えています。なぜならば、神社には神様がいらっしゃる、ほんとうにそこに神様がいらっしゃるか、いらっしゃらないかということがわかるのは、そこが清いところであり、睦まじいところであるかどうかによるのであります。そういう意味で、神社の職員は参拝に来る人に接して、「このお宮さんはきれいなところだ。応待する人もみなやさしい気持をもっておってくれる」とそういう気持を起こさせることです。この気持ちがお参りする人に対して、みんな大きな力になってゆくのです。

こういう例が往々あります。せっかく遠方から参詣に来たのに、お宮さんの係りの方がお札の差し出し方一つが悪かったために、非常に不愉快になって帰ったということであります。せっかくお参りし、神主さんから神札を投げるようにして渡されたというのでは、神様の御徳がそこなわれてしまうのであります。私どもがお宮にお参りいたしましても、手水鉢には水がこんこんと湧きでている。お掃除がよくゆき届いている。御奉仕している人々がみんなやさしくしてくれる。それ自体でもうそこが美しいところなのです。それだけでもいいのです。ほんとう言えば、その気持ちがその人をして、神様というものは、こいういうものだということを教えてゆく一つの導きになっているのです。

~『大祓詞の解釈と信仰 (1962年)』より引用

こちらでお参りさせていただいたことで、自分の中に柔らかくて優しい気持ちが広がり、周りの人々にも同じように接して行きたいと思えたのは、御神徳なのでしょう。

春麗らかな陽気の中、清らかな境内を歩く。

本殿の後ろには神職を務めた高麗家の住居として慶長年間に建造された重要文化財である「高麗家住宅」がある。

大宮御宝印札が入口に貼られていた

オーブっぽいものが写っておりますが、気にしない(笑)

高麗神社エールというものがあるそうだけれども、高麗神社では販売されておらず高麗川駅近くのお店で購入できるということだったので、今回は諦めました(涙)

桜の時期に参拝できて良かったと思いながら参道を歩いていたら、

聖天院・高麗王の墓 近道という案内板があったので、そちらに向かって歩いて行った。

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