三輪惠比須神社を後にして向かった先は綱越神社(おんばらさん)
昨年初めてお参りさせていただいた際には、とても祓われる気がした。
もちろん今回も。
その後大鳥居前に移動して、三輪の地に来たことを実感しながら
一の鳥居から三輪さまを目指す。
昨年来た際には工事中だった参道も整備され、とても歩きやすくなっていた。
そして大神神社のニノ鳥居に到着した。
ニの鳥居をくぐると空気が変わるような気がするのは、決して私だけではないだろう。
ニの鳥居を見上げ、参道に入り数歩歩いたところで、今回こちらにお伺い出来たということは奇跡なのではないか?としみじみ思えて仕方がなかった。そして清浄な地で、全てのものが取り払われ、出てきた感情は感謝しかなかった。
約1年程前、トラブルに見舞われていて、何故か分からないけれども三輪さまにお参りさせていただいていた。
その際、辻占のような言葉を三輪さまで聞いた。
最後に巳の神杉でお参りしていたら、突如一人の参拝客が現れ、携帯電話で話し始めた。
神域で電話するのは勘弁してほしいなぁ、と思いながらも祈り続けていたら、その参拝客の電話での会話が聞こえて来て、それは私の目下の悩みに回答するような会話で、まるで辻占のようだと感じてしまった。
「あぁ、それなら大丈夫、そっちに護りを向かわせるから」
と。
紆余曲折あったけれども、当時私を悩ませていたトラブルは無くなった。
この1年程にあった出来事を振り返り良く乗り越えられたな、と自分で自分を褒めたいくらい様々な出来事がフラッシュバックしてきたけれども、それだからこそ、こうやって再び1年ぶりにお参りできたということが奇跡だとしか思えなかった。普通に生活出来ること事体が奇跡であり、当たり前と思えるこそ、神仏や先祖の守護なくしてはなし得ないものだと。
正直、自分の身に何があってもおかしくないと思えるような事もあったが故に、日々脅えるように過ごしていた時があり、ふとした瞬間にその妙な緊迫感に苛まれていたけれども、三輪さまの神域に入った途端に、その緊迫感が解けていくような感覚に包まれ、守護いただいていることを実感せざるを得なかった。
手水で清めて
三輪さまの元へ向かった。