今日は月イチのヘアメンテで美容室へ。
今週もいろいろあり、お疲れモードで美容室へ向かった訳だけれども、美容室を出る頃にはすっかりと元気になっていた。
昨年後半から新しい美容師さんにお世話になっているのだけれども、この人が普通の美容師さんとは思えない程、いろいろなことに精通していて、話していてとても楽しい。
先月お願いした美容師さん、すごく不思議な人で、たぶん視える人。
— キセキレイスタイル (@kisekireistyle) 2018年10月20日
直ぐ結果が出るものは、直ぐに消滅してしまう訳でしょ?
結局いかに継続させることが出来るのかが、大事なんですよ、と。— キセキレイスタイル (@kisekireistyle) 2018年11月25日
良い美容師さんに当たったのだろう。
「美容師は金儲けで出来る仕事ではないです。ただ、その人の髪の悩みや綺麗になりたい気持ちに答える仕事をしている訳で」
と、視える美容師さんは語った。— キセキレイスタイル (@kisekireistyle) 2018年11月25日
ついでに美容師さんから、あまりSNS見るなと言われてしまった😱
パチンコと一緒で、流れてくるタイムラインを追っているのはパチンコの玉を眺めているのと同じようなもので、思考を停止させるものだと。。。
この人一体何者?と毎度ながら思う訳なのでした😶— キセキレイスタイル (@kisekireistyle) 2019年3月3日
この美容師さんについてはTwitterでも呟いたけれども、あまりお金儲けということに興味が無いらしく、オプションのトリートメントを勧めて来たり、美容室で販売されているシャンプー類の営業は全くしない。
彼の売り上げにならないんじゃないかと思って、良いシャンプ―ありませんかねぇ?と尋ねると、シャンプーなんて市販の物で十分です、シャンプーなんて髪の毛洗って清潔になれば良いだけの物ですから、と。
そういう事をさりげなく言う人だからこそ、私は絶段な信頼を寄せている。
私は、美容師さんとのいわゆる「気軽なトーク」(e.g 何の仕事をしているのか、とか今度の休みはどうするのか?とか)が苦手なのだけれども、この美容師さんとは「気軽なトーク」とは全く異なったディープな話が展開されていることも、この人に信頼を寄せている大きな要因の一つとなっている。
先月も先月でパワースポットの話等々で盛り上がった訳だけれども
今回は、この人ってシャーマンなんじゃないかと思ってしまう出来事がございまして。
先日高城剛さんの講演会に行ってきて、その講演内容と共にとても為になった旨伝えたところ、おもむろに「キセキレイさん、XXXってご存知ですか?」と聞かれた。
XXXと言うものの存在を知らなかったので、XXXって何ですか?と尋ねると、調べてみると面白いことがありますよ、とのこと。
家に戻り、ネットでXXXについて検索する。
XXXについて調べると、結構ヤバイものなのではないか?と思いながらも、辿り着いた記事を読んで、今回美容師さんが伝えたかったメッセージが隠されていたのではないかと思ってしまった。
社会から「こうあるべき」とか「これが幸せ」とかいろいろ教わってきたけれど、一人ひとりがやらなければならない義務なんて何一つ無い。
人は何かを成し遂げるために存在すると社会に教えられる。その努力をたたえ銅像を作ったりもするけれど、何もしないために存在したっていいじゃないかと思った。生命を受け、生きていること自体が素晴らしいことなのだから。
他人が作ったゲームの中で生きるのではなく、自分がしたいこと、幸せやワクワクを感じることをしよう。それが本当の意味で「生きる」ということだ。
そして真の意味で「生きる」には勇気が必要だ。やりたくないこと、心が望んでいないことはやらない勇気。やりたいと心から思うことをやる勇気だ。
僕たちはやりたくないことをいつまで続けるのだろう。今いる環境や仕事がやりたくないことであれば、「今」やめたほうがいい。旅に出たいのなら、「今」こそ旅立つときだ。
心の声を聞き、それに従う勇気を持とう。そうすれば何にも囚われない、自由な存在としてこの世界を遊び尽くせるではないか。
他人の人生を、他人の言葉を生きるのはもうやめよう。他人の考えも、社会の考えもあてにしない。自分で考える。自分で感じる。僕にはこんなにも素晴らしい体がある。世界を見る目がある。美しい香りや美味しいと感じる鼻や口もある。何不自由なく動く手も足もある。
自分で感じたことだけは確かなことだ。喜びも悲しみ静けさも激しさもたくさん感じよう。せっかくこの世界が用意してくれているんだから。
すべてにありがとうございます。
~TABI LABOより引用
髪には神が宿ると言われいて、それが故に巫女などは霊力を宿す為に髪の毛を長く伸ばしているという。
髪の毛を扱う美容師さんと言うのも、その道を究めようとしている人は、ある種の神託者なのではないかと、改めて思ってしまった出来事なのでした。
p.s. XXX(←あえて書かない)については自己責任で御判断願いますー。