日吉大社付近から歩くこと、20分程度で西教寺に到着。
以前から比叡山坂本の街を歩いていると、西教寺のポスターを目にすることも多く、いつかお伺いしてみたいなぁと思っていたお寺だった。
総門を潜り境内にお邪魔すると、その暑さを和らげるかの如く、涼し気な風が吹いてきた。
この日は京都、もとい比叡山坂本も気温が40度近くまで上昇した、酷暑と言われるような日だった。
けれども、総門を潜ると、その暑さの感覚が吹き飛ぶような別世界の清涼感に満ちていた。
西教寺というのは
西教寺は室町時代の文明18年(1486年)、中興の祖とされる僧・真盛が入寺して以降、天台念仏と戒律の道場として栄えるようになったが、それ以前の歴史は必ずしも明らかでない。草創については、『西教寺縁起』や近世の地誌類には推古天皇26年(618年)、聖徳太子の開基とする説もあるが、これは伝説の域を出ないものである。
真盛の弟子にあたる真生が明応4年(1495年)に著した『真盛上人往生伝記』によれば、西教寺は比叡山中興の祖である良源(慈恵大師、元三大師)が建てた草庵に始まり、その弟子で『往生要集』の著者として知られる源信(恵心僧都)が伽藍を整えたという。
良源と源信はいずれも平安時代中期、10世紀に活動した人物である。西教寺と良源および源信との結び付きについても確証はなく、その後鎌倉時代末頃までの歴史も判然としないが、比叡山と関係の深い一寺院として平安時代中期頃に草創されたものと推定される。
鎌倉時代末期の正中2年(1325年)、円観が西教寺を再興したことは史実と認められる。円観(恵鎮、慈威和尚とも称する)は後醍醐天皇の帰依を受けた天台僧であり、この頃から西教寺は円戒道場(天台宗の戒律を授ける場)として知られるようになる。
~Wikiより引用
というところで、私の好きな元三大師様にも関わりのあるお寺だということもある、是非ともお伺いしてみたいと思っていた。
勅使門へと繋がる参道の脇には、多くの支院が立ち並んでいて
歩いているだけで、こちらが大きなお寺だということが手に取るように分かったのだけれども、週末だというのに、参拝客に出会わなかったのが不思議でもあった(←酷い暑さの為、外出する人が少なかったとも言える)
そして勅使門が見えてきた。
勅使門
勅使門右側には波心庭。
波心庭
そして勅使門向かって左側に歩いていく。
誰にも出会わない中、石段を登って行くと
本堂が目に飛び込んできた。
本堂
まずは手水で清めて
本堂へ向かおうと思ったら、可愛らしい龍を発見。
何だろう?と思って後ろにあるお堂を見たら
観音様がいらっしゃる観世音堂だった。
観世音堂
こちらにお招きいただいたことに感謝して、お参りさせていただく。
そして本堂にお参りすべく、拝観受付のある本坊へと向かう。
誰も居ない中、本堂からは定期的に、カーン、カーン、と高音の乾いた鐘の音が響いていた。