八大龍王社を後にして、境内を散策。
石山寺は紫式部ゆかりのお寺ということで、紫式部の像もあった。
観音様は慈悲の手を差し伸べる。
それはまるで母の愛のように、全てを包み込んでくれる優しさ。
紫式部や清少納言などの有名な女流作家がこぞって石山寺や奈良の長谷寺など、お力のある観音様がいらっしゃるお寺に詣でていたことを考えると、それが当時の流行りだったにせよ、何かに導かれたからこそお参りしていたのではないかと思えて仕方がなかった。
目に見えないものを感じる力があるからこそ、そういう場所にお伺いして、自身を保つと言うのだろうか?神社仏閣などにお伺いして、自身が清らかな気持ちになれれば、それだけ自分自身の回りにいる人達にも、清らかな気持ちで接することが出来る。
そして、その清らかな気持ちの輪が広がっていけばいくほど、この世の中というものも、清らかなものになるのでは?なんて思ってしまう自分が居たりして。
まぁこれは理想論なのかも知れないけれども、自分自身が幸せでなければ、人の幸せなんて祈ることも出来ないのは事実だったりする。
そして光堂に辿り着いた。
光堂
こちらの前に佇むと、何故かしゃんとした気分になった。
そして豊浄殿で石山寺と紫式部展と言うものが開催されているということでそちらの方面に向かうと
丁度某J●Bの団体さんが入って行く姿を見かけた。団体にまみれると展示物に集中出来ずにイライラしてしまう自分が容易に想像出来たので(笑)こちらの展示を見る事は断念した。
何故だか小さい頃から、人と同じ様に行動するというのが苦手だったこともあり、団体に囲まれると無性にイライラしてしまう。
何も考えずに何かに属して、言われたままに行動するのはラクチンだとは思うけれども、それは果たして自身の人生というものを歩んでいるのだろうか?と、幼い頃からずーーーーーーーーっと思ってきた。
だから旅に出るにも何をするにも一人だったりする。
誰かに同調されなければ何も出来ないのならば、死んでいるのも同然だ。
そして心経堂にお伺いした。
心経堂
こちらにお招きいただいたことに感謝してお参りさせていただいた。
そして鐘楼や
鐘楼
宝篋印塔などにもお参りさせていただいて
大黒堂に到着。
大黒堂
こちらでもお招きいただいたことに感謝してお参りさせていただいた。
そして石山寺を後にして、石山寺駅方面へと向かおうとすると朗澄大徳ゆかりの庭園というところがあったことに気付く。
朗澄大徳ゆかりの庭園
朗澄律師は死後鬼の姿になって、石山寺の一切経と聖教を守護し、 人々の降魔招福を誓い入寂されたというお方だという。
そして、この庭園にある石に刻まれているのは「石山寺縁起絵巻」に描かれた朗澄律師のお姿だということだった。
この朗澄律師の石像を見ながらも、やはり同じように自らの姿を変化させた元三大師様に想いを馳せる自分が居た。
優しいだけでは、人は導けない。
けれども、そのことを分かっている人は、例えどんな姿であろうとも、とても優しい。