今回とにかく比叡山に行かなくては!と突発的に新幹線とホテルを手配して、旅行最終日は16時前に京都駅を出発する新幹線に乗車するという以外、ほぼ何の計画もせずに旅に出てしまった。
なので最終日はどうしようかしらん?と思っていたのだけれども、前日京阪大津線を利用した際にこの路線には、とても魅力的な神社仏閣があることに気付いた。
近江神宮も良いし、三井寺も良さそうだなぁ、なんて思っていたけれども、前日電車内や駅の構内で多くの広告を目にした石山寺に行く事にした。
二条城前駅から地下鉄に乗車。
「京都地下鉄・京阪大津線1dayチケット」なる、この2路線をどれだけ乗り降りしても¥1,100というお得な切符があったので、それを地下鉄駅の窓口で購入して、石山寺を目指した。
二両編成のとても可愛い電車に乗車。
そして石山寺駅に到着した。
ここから石山寺までは徒歩10分程度。
駅の隣にはお稲荷さん。
石山寺まで向かう道の途中にはお地蔵様。
石山寺駅から石山寺に向かう道も、とてもふんわりとした良い雰囲気が漂っていて、今回ここに来ようと思った自分を褒めてあげたくなった(笑)
そして石山寺に到着した。
石山寺 東大門
お守りされている方々にもご挨拶させていただき
東大門を潜ると、新緑に満ちた清々しい空間が広がっていた。
こういう雰囲気、本当に大好きだなぁと思いながら境内を歩く。
そして受付で拝観料を支払い、中に入る。
手水で清めると、不動明王様の姿を見つけたので、思わず手を合わせる。
そしてこの手水の近くに、比良明神 影向石というものがあった。
比良明神 影向石
『石山寺縁起絵巻』によれば、聖武天皇の発願により、天平19年(747年)、良弁(東大寺開山・別当)が聖徳太子の念持仏であった如意輪観音をこの地に祀ったのがはじまりとされている。
聖武天皇は東大寺大仏の造立にあたり、像の表面に鍍金(金メッキ)を施すために大量の黄金を必要としていた。そこで良弁に命じて、黄金が得られるよう、吉野の金峰山に祈らせた。金峯山はその名の通り、「金の山」と信じられていたようである。そうしたところ、良弁の夢に吉野の金剛蔵王(蔵王権現)が現われ、こう告げた。「金峯山の黄金は、(56億7千万年後に)弥勒菩薩がこの世に現われた時に地を黄金で覆うために用いるものである(だから大仏鍍金のために使うことはできない)。近江国志賀郡の湖水の南に観音菩薩の現われたまう土地がある。そこへ行って祈るがよい」
夢のお告げにしたがって石山の地を訪れた良弁は、比良明神の化身である老人に導かれ、巨大な岩の上に聖徳太子念持仏の6寸の金銅如意輪観音像を安置し、草庵を建てた。
そして程なく(実際にはその2年後に)陸奥国から黄金が産出され、元号を天平勝宝と改めた。こうして良弁の修法は霊験あらたかなること立証できたわけだが、如意輪観音像がどうしたことか岩山から離れなくなってしまった。やむなく、如意輪観音像を覆うように堂を建てたのが石山寺の草創という。
~Wikiより引用
ということで、こちらは良弁僧正と比良明神が出会った場所だとされている。
石山寺の由縁にも蔵王権現様が関わっていたことに、正直驚きを隠せない気持ちになりながら、本堂方面へと歩みを進めていった。
石段を登っていくと珪灰石が目に入る。
珪灰石に向かう途中には、様々なお堂がある。
観音堂
毘沙門堂
蓮如堂
御影堂
それぞれのお堂でこちらにお招きいただいたことに感謝してお参りさせていただいた。
そして珪灰石前に到着。
どうやらこちらの珪灰石前が石山寺で一番のパワースポットと言われているらしい。
こちらがパワースポットかどうかということは、正直私には良く分からない。特に今回石山寺でお伺いした、別のところの方が自分的にはとても衝撃を受けたということもあるかもしれないけれども。。。
そして本堂に向かって行った。