我が志を述べよ~比叡山西塔エリアに再び

横川から西塔エリアに移動。

西塔エリアにお伺いするのは久方ぶりだった。

目にも鮮やかな新緑を見ていると、本当に自然というのは素晴らしく美しいものだと思ってしまった。

その自然の美しさは、誰かに褒め称えてもらうためのものではない。

けれどもやはり、人間と言うのは、誰かに褒めて欲しいと思って行う行為の方が多い。

西塔エリアも偉大な方々が修行された地ということで、その修行の跡に触れることが出来る場所でもある。

偉大な方々が修行されていたという土地にお伺いすると、本当に自分の小ささを身に沁みて感じることが出来る。

誰かの為に、何の見返りも求めずに何かをするという事。

衆生苦悩 我苦悩

衆生安楽 我安楽

どこかの書物で読んだ、この言葉が何故か頭の中を駆け巡って仕方がなくなっていた。

そして釈迦堂に到着した。

手水で清めて

お堂の中にお邪魔して、再びこちらにお招きいただいたことに感謝してお参りさせていただいた。

今回は不動明王様そして元三大師様に導かれて、こうやって意図せぬ形で比叡山にお伺いすることが出来たのだろう、と思う。そして横川だけでは無く、西塔エリアにもお伺いしたということにも、何か意味があるのだろうと。

そして比叡山にある三大弁財天の一つとされている箕淵弁財天にお伺いすることが出来た。

そして、浄土院方面に歩みを進めると、一つの石碑が目に留まった。

我が志を述べよ

そう書かれた石碑を見て、自分の中で衝撃が走った。

そして以前読んだ本の中の、酒井大阿闍梨様が語られていた「日東南西北」のエピソードが頭の中を駆け巡っていた。

日が昇る東の国である日本に何をしにきたのか

この「我が志を述べよ」、という言葉、と

「日が昇る東の国である日本になにしにきたのか」と言う言葉。

字面では違うように見えて、全く同じ事を語っているのではないかと思えて仕方がなくなった。

だいたい、ぐちをこぼたしたり、妬んだりするのは自分自身に自信がないからなんだよね。

自分に自信があったら、あの人のここはすごいなあと素直に褒めて喜べるし、自分はあの人にないここのところで身を立てて行こうとか、常に前向きな考えになるんだけれど、相手の見た目だけで簡単に判断を下してしまうから、うらやましく映ったりするんだよ。

成功している人には、人の見えないところでたいへんな努力もしているものです。

~中略~

人を妬む時間があったら、自ら行動をして実践すればいいんですよ。しっかり考えを持って実践すれば、仏様は応援してくれますよ。

~『この世で大切なものってなんですか (朝日新書)』より引用

誰に認められなくても、自分自身が納得する生き方をすること。

それこそが、自身の意志を目に見えない世界~仏様や神様~に示していることではないのだろうか。

この世で大切なものってなんですか (朝日新書)

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