孔雀経と龍~石山寺・八大龍王社

石山寺の拝観受付でいただいた境内図に気になるお社の存在を見つけた。

それは八大龍王社。

龍好きな私は、このお社の名前一目見ただけで、こちらにお伺いしなくてはと思ったところだった。

石山寺というのは意外に広いお寺で、本堂付近には多くの参拝客が居たけれども、こちら方面に向かう人々の姿は少なかった。

実際こちらにお伺いした際には、休日と言うのに私以外誰も居なかった。

お社が近づくにつれ、その空気感は石山寺のふんわりとした雰囲気とは異なったものを感じた。

妖気と言うべきなのだろうか、不思議と言うべきなのだろうか。そんな雰囲気が辺り一面を覆っていた。

不思議と言う言葉も考えてみれば「思議」と言う言葉に「不」という文字がかかっている言葉だったりする。

「思議」の意味は「あれこれ思いはかること、考えをめぐらすこと」であるけれども、それを「不」という言葉で否定している。

つまりは、自身の考えでは説明や理屈がつかないようなことを不思議と言う。

そんな想像もつかない、己の想像の範疇を超えた世界が、こちらには漂っていた。

八大龍王社

鳥居を潜ると、本当に独特の雰囲気を感じた。

けれども、それは決して悪い意味ではない。

案内版には

八大龍王社は龍池の中島に建てられた小さな社で、龍王をお祀りしています。

石山寺の歴海和尚がこの池のほとりの石に座って孔雀経を読むと、池の中から龍王たちが現れて和尚の経を聞き、経を読み終わると和尚を庵まで送っていったと伝わっています。

歴海和尚が座った石は「腰掛石(または尻掛石)」と呼ばれ、「石山寺縁起絵巻」に描かれたうっそうと木がおい茂る深い山中の様子は現在も変わることがありません。

と書かれていた。

そしてこちらにお招きいただいたことに感謝してお参りさせていただいた。

白い龍。

その存在を感じることが出来た。

そして尻掛石にもお参りさせていただいて

しばしこちらに佇んで、思いがけずに龍の存在を感じることが出来た己の幸運に感謝していた。

2017年5月にお伺いした金峯山寺で五條覚澄様が書かれた『霊話 不思議』という本を入手することが出来た。

その本を読んでいたら、八大龍王様に関する気になる記述を発見して、それ以来、ずっと頭の片隅に八大龍王様の存在があった。

弘法大師もまた密法をこの八大竜王の宝前に修せられ、『八大あって初めて家栄える』との霊言を残されたのであった。

~中略~

修験者は必ず八大竜王を尊信することを忘れてはならない。

私が脳天大神を開顕すると同時に、八大竜王を吉野山下道場に御勧請した由縁はここにあるのである。

~『霊話 不思議』より引用

今回意図せぬ形で石山寺にお伺いして、そして八大龍王様にお参りさせていただいたことも、必然だったのだろうと、今では思える。

龍に触れることで、物事は動いていく。

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