金剛三昧院を後にして、奥之院へ再びお伺いした。
昨日お伺いした時よりも人が多く居るように感じたので、違うルートを歩いてみる。
奥之院は歩いているだけでも数多くのお地蔵様と出会える場所。
そして数取地蔵様のところに辿り着く。
そしてお化粧地蔵さまのところに差し掛かる。
お化粧地蔵
以前お見かけした際とは違って、お化粧と言うよりは、口紅が塗りたくられたようなお姿になっていることに愕然とする。
ちなみに2年前の2015年にお伺いした際に撮らせていただいたお姿↓
実は前日こちらの前を差し掛かった時に、お化粧地蔵様の回りに置かれた口紅や化粧道具等を片付けていらっしゃる方々の姿をお見かけした。そして、テレビの影響で、こちらのお化粧地蔵様に口紅を塗りたくっていく人が増えた、ということを嘆いている会話が聞こえてきた。
お化粧地蔵さまが、そんな人々の欲に向き合いながらも、けなげに微笑まれている姿を見て、その偉大な御心に改めて敬服するしかなかった。
そして前日数多くの人が居たため、お参りを断念した水向け地蔵様の元へ。
前日よりは人が少なかったので、お参りさせていただいたのだけれども
こちらが御先祖様にお水を手向けるというところだということを知らない人が多いのだろうか?私の前に居た親子連れが、お水を手向けるというよりは、打ちつけるといった格好でお地蔵様の顔を目がけて柄杓の水を浴びせていた。
そして、この地蔵は何のご利益があるんだろうねーという会話が聞こえてきた。
打ち付けられるように水を浴びながらも、なおかつ微笑まれているお地蔵様達のお姿を見て、私はとても、いたたまれない気持ちになってしまった。。。
以前記事にもしたけれども、お地蔵さまと言うのは
このお地蔵さまは、人から拝まれる立場のみほとけであります。それにかえって、お地蔵さまが、われわれを拝んでみえるということは、いったい何を意味しておりましょうか。そこをよくよく考えて見て下さい。
それは、お地蔵さまが六道能化のご本願をお立てなされているから、そのご本願に契(かな)うようにとのおこころで、わたくしたちを、拝んでいらっしゃるのにちがいありません。
~お地蔵さま より引用
六道能化というのは、衆生を教化し救う地蔵菩薩さま。
そのご本願に契うようにとのお心で、私たちを拝んで下さっているのに、それに対するものが単なるご利益というのは、あまりにも不謹慎ではないのだろうか?と思わず腸が煮えくり返るような思いになってしまったけれども、お地蔵様達は、それでも良いとおっしゃられていた。
そのあまりのもの慈悲深さに思わず涙しそうになっている自分が居た。
そして御廟でお参りさせていただき、今回初めて親鸞聖人の御墓へとお伺いした。
今回お招きいただいたことに感謝してお参りさせていただく。
そして、今回こちらにお招きいただいたことにも意味があったのだと気付く。
親鸞聖人は『高僧和讃』の中で
罪障功徳の体となる、こほりとみずのごとくにし、こほりおほきにみずおほし、さはりおほきに徳おほし
と、罪障が深ければ深いほど、その解けたあかつきには実りが多いという、とても大らかな世界観を謳っている。
ご利益ばかりを求めている人々をもお許しになっているお地蔵様、そして親鸞聖人のお慈悲の深さが身に沁みた参拝だった。