霊宝館を後にして、檀上伽藍に方面へと歩みを進める。
その途中に善女龍王社は御鎮座されている。
私はこちらのお社が大好きだったりする。
蓮池の池中に御鎮座されている為、橋を渡ることとなるのだけれども、お社に向かおうとしたら光がパーっと差してきた。
単純な私は、これだけで歓迎されているかのように感じてしまった。
善女龍王社
お線香と蝋燭を手向けさせていただき、2年ぶりの参拝となってしまったことの非礼を述べつつ、再びこちらにお招きいただいたことに感謝してお参りさせていただいた。
いつも誰かしら居るようなお社なのに、今回お参りさせていただいている間、一人きりで参拝させていただくことが出来た。
以前読んだ本に善女龍王様について書かれている箇所があった
善女龍王は弘法大師が天長元年(824)に京都の神泉苑で祈雨の修法を行った時にはじめて出現したという龍神である。
~中略~
宝冠をいだたき、唐風の衣装を著け、まき起こる雲中にある姿、男神の形相であるが善女龍王と呼んでいる。
裾の後方からちらりと小さな龍尾をみせているところ、いま池中から出現したというか、いま蛇体から人体に化現したというか、生々しいものを感じさせて異様ですらある。
うっかりしているとこの龍尾を見落としてしまうから注意してほしい。
~『比叡山と高野山 (読みなおす日本史)』より引用
今回も力強いお言葉を頂戴して、感謝の気持ちで一杯になってしまった。
祈らなければ、目の前に現われないものというものも多い。
そんなことを再認識させていただいたお参りだった。
そして金剛峯寺に向かって歩いていたけれども、呼ばれているような感覚がしたので、金剛峯寺の前を何故か通り過ぎ、辿り着いたのはこちらだった。
網引弁財天
金剛峯寺近くにこのお社が御鎮座されているということを、今回初めて知ることが出来た。
案内版を見ると
この御社にお祀り申し上げておりますのは、網引弁財天と申し、弘法大師高野山御開創の時、その繁栄を祈って山内七ヶ所に祀られた弁才天の一つであります。
各々水源の位置に当ると云われ、水に由来した網引(又は船引)と名づけられたと云われております。
これを祈れば福徳と智恵を得る霊験あらたかな神様であります。
と書かれていた。
こちらにお招きいただいたことに感謝してお参りさせていただく。
その控えめな姿からは想像も出来ない程の優しさが満ち溢れているように感じてしまった。
龍神様の後に弁財天様にお参りさせていただいたことも、何かしらの意味があるのだろう、と思いつつ、金剛峯寺へと向かった。