高野山は不思議なところ~無量光院に宿泊させていただきました

金剛峯寺を後にして、この日宿泊する宿坊へ到着。

無量光院

こちらは実は4年前の丁度今頃、宿泊させていただいた宿坊だったりする。

4年前に宿泊させていただいた際には、あまりの厳格さにびっくりしてしまった宿坊だった。

今回意図してこちらに宿泊しようと思った訳ではなく、高野山に行きたいと思って宿坊を予約しようと思ったら、じゃらんや楽天トラベルなどで予約可能な宿坊は全て埋まっていて予約が取れなかった。

なので、高野山宿坊協会経由で申し込んだら、こちらの宿坊をご用意いただいたと言う訳であり、正直予約確認メールを見た時には、無量光院か、、、と思ってしまったのも事実。

しかしながら、やはりご縁というものは意味があって、今回、こちらに宿泊させていただくことが出来てとても良かったと思っている自分が居る。

チェックインさせて頂いた後に、案内されたお部屋は前回宿泊したのと同じお部屋だった。

前回宿泊した際には本堂に一番近いお部屋ということもあって、独特の雰囲気を感じてしまったのだけれども、今回は、その独特の雰囲気と言うものは一切感じなかった。

本堂が別の場所に新設されていたということもあるのかも知れないけれど、こちらのお部屋に入っても、その独特の雰囲気と言うものは一切無くなっていた。

そして部屋まで案内してくれた若いお坊さんも親切だったし、案内して下さっている間にも、他愛の無い世間話などをしてくれたことを考えると、一人旅の人間にとても優しいように感じてしまった。

私が宿泊したお部屋の前には、美しいお庭。

前回宿泊した際には気が付かなかったけれども、お社が御鎮座されていた。

そして18時頃にお部屋に夕食が運ばれてきた。

精進料理だけれども、品数も量も多いお料理をいただくと、何故か永平寺で一泊二日の参籠をした際のことを思い出していた。

私が永平寺で参籠させていただいた時にも、お部屋まで食事を運んできていただいた訳だけれども、それは私が普段食している量に比べると、とても少なく感じてしまった。そして如何に普段自分が沢山の食物をいただいているのかと言う事を認識する良い機会にもなった。

多くの命をいただいて生かされている自分。

そして、今回こちらで贅沢過ぎるほどの精進料理をいただいて、こういったお食事が頂ける事自体、改めて自分が幸せだということに気付くことが出来た。

その後入浴させていただき、部屋に戻り、一人きりの時間。

こちらの宿坊にはテレビなどの娯楽の類が一切無いということが分かっていたので、持参してきた本を取り出して眠くなるまでその本を読んでいた。

今回持ってきた本というのが『デジデリオ―前世への冒険 (集英社文庫)』という本だった。

前世への冒険、などと言うと、スピにハマっているような人が書いている本だと思われるかも知れないけれども、この本はその手の類の本とはまるで違う。

逆に目に見えない世界に懐疑的な人が、目に見えない世界に導かれている様がとても興味深く描かれている良書だった。

そしてこの本の中で、比叡山の御護摩の様子が描かれていたことに少なからず動揺している自分が居た(この本についても機会があれば感想を書きたいと思ってますが、いつになることやら、、、)

結局余りの面白さ故、完読。

そしてこの本の余りの内容の濃さに興奮さめやらぬまま、布団に潜り込み、目に見えない世界について思いあぐねていると、なかなか眠りにつけなかった。

そして翌朝、朝6時から始まる朝勤のために5時に起きて身支度を整えて、10分前に本堂へ向かう。

本堂入口にはお坊さんがいらっしゃって、本堂に入る参拝客の左手に塗香を与えて下さっていた。

こちらは高野山の中でも厳格な宿坊なので、朝のお勤めも1時間半程かかる。

そして途中で焼香やお茶を仏様に手向けさせていただけるのだけれども、本堂左方で護摩炊きをしている僧侶の方をちらっと見たら、外国人の僧侶の方だった。

けれども、一心不乱に不動明王様の御真言を唱えて御護摩を焚いている姿を見て、日本人だから、とか外国人だから、とか、そういうことって、実はどうでも良い事なんじゃないかと思えた。

そしてお勤めが終わり、部屋に戻ると朝食が運ばれてきた。

有難く頂戴して、そろそろチェックアウトしなくては、と思っていたら、部屋の外から御真言が聞こえてきた。

思わず障子を開けると、大勢のお坊さんたちがお庭に向かって御真言を唱えている姿が見えた。

私の姿に気付いたお坊さんが私に向かって目礼して下さりつつも、御真言を唱えていた。

その姿を見て、祈るということの重要性を垣間見たような気がしてしまった。

そのお勤めが終了するまで、そのお姿を見つめていた。

そして、お勤めが終了したのを見届けた後に、何となく部屋から出なくてはならないような気がして、部屋を出るとこちらのお寺に関する写真などが展示されている所に辿り着いた。

すると一枚の写真が目に入った。

そこには、私が尊敬してやまない宮崎 奕保禅師様のお姿があり、この写真を見た瞬間、涙があふれ出ていた。

永平寺の存在を知ることが出来たのは、高野山にお伺いしたことがきっかけだった。

4年前に初めて高野山にお伺いして、金剛峯寺で行われていたワークショップで、高野山の修行についてお話をお伺いした際に「高野山の修行も厳しいけれども、永平寺の修行に比べれば、、、」という話を聞いて、永平寺というお寺に興味を持った。

そして永平寺について調べたら、宮崎 奕保禅師様という偉大なお方の存在を知ることが出来、それ以来、宮崎 奕保禅師様というお方の生き様が私の指標となっている。

今回こちらに宿泊させていただいて、この写真を見ることによって、自分の中で永平寺と高野山というものが、繋がったような気がした。

そして今回、意図せぬ形で再び無量光院に宿泊させていただく機会を得られたのは、この写真を見るようにという神様や仏様のお導きだったのではないのかと。。。

高野山で宮崎 奕保禅師様の存在に触れられた幸運に感謝しつつ、宿坊をチェックアウトする。

寺務所で手続きをしていた時、御朱印を頂戴していなかったことに気付き、合わせて御朱印を頂戴した。そして御朱印を書いていただいている間、何となく間が持たないような気がして、寺務所で私が座っていた隣にいたお寺のワンちゃんをナデナデしていた。

すると、お寺の方が「不思議ですなぁ」と言った。

思わず、え?と言うと、

「この犬は、その場所にあるホットカーペットの上でくつろいでいる時に、人から触られると物凄い剣幕で怒るんですよ、、、」

と言われた。

お寺の方のリップサービスなのかも知れないと思いつつ、不思議と言えば、私は宮崎 奕保禅師様がとても大好きなので、こちらのお寺に宮崎 奕保禅師様のお写真があったことがとても不思議でした、と伝えると、高野山の宿坊の中でも、あの写真を飾っているところは少ないですからねぇ、と言う事だった。

目に見えない世界。

実際に不思議とも偶然とも言える機会が無ければ、その存在を自覚することがなかなか出来ない世界だったりする。

今回こちらに宿泊させていただけたことで、その目に見えない世界というものをより強く感じることが出来た。

本当に全てのご縁に感謝するしかない。

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