『慧春尼さま』という小冊子には、慧春尼さまについてこう書かれていた。
慧春尼さまは、最乗寺開山了庵慧明禅師の令妹として、相州糖谷(現伊勢原市)にお生まれになりました。大変美しい方であったそうです。
三十歳を過ぎた頃、慧春尼さまは、出家のお許しを、御開山様に願い出たのですが、御開山様は容易にお許しになりませんでした。
すると、慧春尼さまは、黙って別室に退いたかと思うと、その容顔を焼火箸で縦横に烙いたのです。その光景を想像するだに、出家を願う尼師の気魄が伝わってくるようです。それ程の事をしてまでも、出家したいという意志は堅かったのでしょう。御開山様も、ついに出家をお許しになられたのです。
~中略~
慧春尼さまの御最後もまたみごとでありました。火定の御最期は自ら柴を組み、自ら火を点じ、自らの身を炎と化して、示寂なされました。
~『慧春尼さま』より引用
簡単に言ってしまえば、出家するためにその美しいお顔を自ら傷つけ出家の確固たる意志を示され、そして最後は、全ての弱き者~貧しき者、迷える者、女人や子供の成仏を信じて、自らの命を仏様に捧げたお方であるということだった。
私は本当に不勉強なので、こういったお方がいらっしゃるということを、最乗寺にお伺いするまで知らなかった。
けれども、御守り等授与所で目にしたこの『慧春尼さま』という一冊の小冊子を見て、本当に呼ばれるようにお伺いしたのがこちらだった。
慧春尼堂
手水で清めて
こちらにお招きいただいたことに感謝してお参りさせていただく。
本当に美しく、そしてお優しいお方がいらっしゃるのを感じた。
しばらくこの前に居たいという気持ちになったけれども、後ろから参拝客の気配がしたので、ひとまずその場を離れ、開祖廟へと向かった。
開祖廟
残雪の足跡を見ても、こちらにお伺いする人の数の少なさが想像出来たけれども、やはりこちらにもお伺いする意味があったのだろうと思いながら、こちらにお招き頂いた事に感謝してお参りさせていただいた。
そして慧春尼堂に再び戻ると、誰も居なかったので、今度はじっくりとお参りさせていただく。
初めてお伺いする場所なのに、その慧春尼さまのお優しさが辺り一帯に漂っていて、何度も来たような感覚に陥っていた。
そしてそのお優しさに甘えてしまい、いろいろと身の上話などを心の中で語っている自分が居た。
慧春尼さまは本当にお優しい。
そして、今もすべての弱者を救おうとしている御心が感じられて、思わず泣いている自分が居た。
慧春尼堂にお伺いして、私が思い出したのは、やはり三島由紀夫のことだった。
三島由紀夫が語る死の哲学
武士は、普段から武道の鍛錬はいたしますが、なかなか生半可なことでは、戦場の華々しい死、なんてものはなくなってしまった。そのなかで、汚職もあれば社用族もあり、今で言えば、このアイビー族みたいなものも、侍の間で出てきた時代でした。
そんななかで『葉隠』の著者は、「いつでも武士というものは、一か八かの選択のときには、死ぬほうを先に選ばなければいけない」と口をすっぱくして説きましたけれども、著者自体は、長生きして畳の上で死んだ、とあります。
そういうふうに、武士であっても、結局死ぬチャンスがつかめないで、「死」ということを心のなかに描きながら生きていった。そういうことで仕事をやっていますときに、なんか、生の倦怠(けんたい)と言いますか、ただ人間が「自分のために生きよう」ということだけには、いやしいものを感じてくるのは当然だと思うのであります。
それで、人間の生命というものは不思議なもので、自分のためだけに生きて自分のためだけに死ぬ、というほど、人間は強くないんです。というのは、人間はなんか理想なり、何かのためということを考えているので、生きるのも、自分のためだけに生きることには、すぐ飽きてしまう。
すると、死ぬのも何かのため、ということが必ず出てくる。それが昔言われていた「大義」というものです。そして「大義のために死ぬ」ということが、人間のもっとも華々しい、あるいは英雄的な、あるいは立派な死に方だというふうに考えられていた。
しかし、今は大義がない。これは民主主義の政治形態ってものが、大義なんてものはいらない政治形態ですから当然なのですが、それでも、心のなかに自分を超える価値が認められなければ、生きてることすら無意味になる、というような心理状態がないわけではない。
~ logmi より引用
今まで、何のために生きているのか、と考えることは多かった。
しかし、何のために死ぬのか、ということを考えると、自ずと何のために生きているのか、という問いと同じ答えになることを思い知る。
慧春尼さまのように、自らの命を仏様に捧げるということ、そして三島由紀夫のように、自分の信条のためにああいった形で自らの命で差し出すということ。
宗教によるテロリズムなどを考えると、それらを美化してはいけないとは思うけれども、今のこの時代に漂っている閉塞感を打ち破るためには、何のために自分は死ぬことが出来るのかということを考えることも、必要なのではないかと思えて仕方がなかった。
最乗寺にお伺いして以来、そんなことをずっと考えている。
最後にお伺いした慧春尼堂での衝撃は、今後の私の課題なのだろうと思いつつ、最乗寺を後にした。
言葉で人を説得するのはたやすい。
論争において勝ったところで空しい。
尼はこの身を灯明としてみ仏に捧げて後々の世まで人々の幸福を願います。
昔 一切衆生喜見菩薩がその身を仏に供養して世を照らしたもうたように、貧しき者、迷える者、女人も子どもも全ての弱き者の成仏を信じてこの身を捧げます。
南無帰依仏、南無帰依仏
~『慧春尼さま』より引用