お水屋から歩く事1時間程度。
大光坊に辿り着いたと思ったら、まず最初に目に飛び込んできたのはこちら。
相輪塔
相輪塔とは、五重塔等から屋根を取り払い、最上層の相輪のみを残した仏塔の一種です。
法華経を説かれたお釈迦様の供養塔になります。
日蓮聖人五百遠忌の記念事業に本願主として江戸雑司ヶ谷の法華信者金子家昌・直徳父子を中心に祖師堂に於いて、常経講を結成し天下泰平を祈願して法華経三万部のお経を読誦してこの地に建てられました。
尚、この相輪塔は日光と比叡山、そしてこの身延山と、日本に三ヶ所建てられております。~大光坊 HPより引用
この相輪塔の隣にはお社があったけれども、何の神様かは分からなかったのでお参りは控える。
そして三光堂へ。
三光堂
お参りさせていただくと、確かに光るものを感じることが出来た。
釈尊像
そして、今回ロープウェイで山頂まで登って、わざわざ歩いて下山した理由の一つであるところに差し掛かる。
大黒堂
大黒堂は寛文二年(一六六二)にこの地に建立し、大黒堂に祀る大黒天は日蓮聖人の御自作と伝わっております。
そしてこの大黒天は、面白い話があります。
ある時、御堂の修理のために仏具商を呼んだのですが、見事なお姿に心がくらんだ仏具師は、真夜中に大黒天の御像を盗んで逃げ去りました。一生懸命に走り身延山から遠く離れて「もう一安心だ」と一休みしました。夜が明けあたりを見廻すと、なんと大黒堂の縁の下に座っているではありませんか。仏具師は一晩中、大黒天の御姿を背負って、御堂の周りを走っていたにすぎなかったのでした。仏具師が悔いを改め、御像は無事に戻されました。これも大黒天に「この地を離れたくない」というお心があったからでありましょう。
~大光坊 HPより引用
日蓮聖人の御自作ということで、この目で見てみたかったけれども、
御開帳希望の方は札所までご連絡ください、と書かれていたので、そこまでの信者じゃない私がお願いするのもナンだよなーと思って遠慮しておいた。
そして、再び御山を下る。
次第に空気感がちょっと変わってくるのが分かった。
それもそのはず、ここは、江戸時代の身延山がそのまま残っている場所ということで、江戸時代に活躍した僧侶や信徒の墓域が至るところにある。
高野山の奥之院まで行く道のりを彷彿とさせるものがあったりして。
そして丈六堂に辿り着く。
丈六堂
誰も居ない様子で閉まっていた。
まぁオフシーズンだからなぁ、と思いつつ、お参りさせていただいた。
そして近くを散策していると、お社的なものを発見。
お稲荷さんも鎮座されていたりして
この一帯はホント、一体なんだんだと思ったりした(笑)