朝4:30に目が覚めた。
そして身支度を整え、5:30に宿坊を出発する。何故こんなに早起きをしたのかと言えば、久遠寺での朝勤に参列するため。
前日宿坊の方との会話で、歩いて久遠寺まで行って朝6:00から始まる朝勤に参列しようと思っている旨伝えると、この時期の朝5時台はまだまだ暗いので、一人で歩いていくのは危険だというアドバイスを受け、宿坊の御厚意で車で久遠寺まで送っていただくこととなった。
そして御厚意に感謝してお言葉に甘えて久遠寺まで車で送っていただいた。
久遠寺に到着すると、辺りはまだまだ真っ暗で、お月様が顔を覗かせていたりした。大本堂に向かうと、既に参列者が各々好きな位置に陣取り朝勤の始まりを待っていた。
私も適当な位置に座り、朝勤の始まりを待つ。そして朝6時になると太鼓の音が大本堂に響き渡った。それは朝勤の始まりを告げる音でもあった。
大勢の僧侶の皆さんが大本堂へと集まる。
これほどの僧侶の数が集まる朝勤というのは、永平寺の朝課(朝のお勤め)位でしか、私は見たことが無かった。
永平寺の朝課は質素堅実というイメージだったけれども、久遠寺の朝勤はとても煌びやかなものを感じた。僧侶の方が身に付けている僧衣に影響されている面が大きいのだろうけれども。
そして身のこなし方などを比べてみると、それが良いとか悪いとかの話ではないけれども、やはり永平寺の雲水さん達の方が、「型」というものを教え込まれている分、無駄のない動きをされているように感じたりもした。
しかし、永平寺の雲水さん達のほとんどが大学を卒業したての22歳前後の人が多いのに対して、久遠寺の修行僧と思われる方々は、明らかに10代後半位だった。久遠寺には身延山大学・高校というものがあり、通学しながら僧侶を志す生徒さん達が居る。朝勤では参列されている半数程の僧侶はその生徒さんだったように思える。その若さで仏の道を志すという信念に、私は頭が下がる思いで一杯だった。
ご焼香もさせていただき、朝勤が終了した後に「お経葩(おきょうは)」という蓮の華をかたどったものをいただくことが出来た。
私がいただいたお経葩は赤だった。七面大明神様に因んだ赤龍と関連するような色のお経葩をいただけて、とても嬉しい思いで一杯になった。
続いて祖師堂でのお勤めに参列させていただいた。この祖師堂でのお勤めでは、日蓮上人像が御開帳される。
こちらでもありがたい気持ちになりながら、参列させていただいた。
今回、久遠寺の朝勤で一番印象に残ったのが、この祖師堂でのお勤めの後のお説教(法話)だった。
この日のお話はコーカーリヤについて。
そのお話というのはこういうもので
釈尊が祇園精舎(ぎおんしょうじゃ)に滞在しておられたとき、修行僧コーカーリヤがやって来て、サーリプッタとモッガラーナに邪念のあることを告げます。
釈尊はそれをたしなめ彼らを信愛しなければならないと諭(さと)されますが、コーカーリヤは「私は師を信じてお頼りしております。しかしサーリプッタとモッガラーナには邪念があります。彼らは悪い欲念にとらわれています」と言って譲りません。
そのようなやりとりがくり返された末に、コーカーリヤは座より起(た)ち師を礼して立ち去ります。ところがそこから立ち去ってからまもなく、彼の全身に芥子粒ほどの腫物ができ、それが次第に大きく赤くはれあがり、その病苦のために死んでしまいます。
彼はサーリプッタとモッガラーナに敵意をいだいたことがもとで、死後に紅蓮(ぐれん)地獄に生まれます。そこで釈尊は次のように言われました。
人が生まれたときには、実に口の中に斧が生じている。
愚者は悪口を語って、 その斧によって自分を断つのである。 コーカーリヤの名は数多くの経典や律典に現われますが、その殆(ほとん)どの場合に上記の逸話が語られています。コーカーリヤがサーリプッタとモッガラーナを訴えたのは、二人が暴風雨にあい石室に女と宿るのを見て女犯の罪を犯したと考えたことによるものとされているようです。ところが興味深いことに、別の伝承では彼は釈尊に代わって教団をのっとろうとたくらんだと伝えられるデーバダッタの一味であるとされています。
ある律典はそのたくらみが失敗に帰した後、彼はデーバダッタらと共に教団を去ったと伝えています。そうすると彼のいだいた敵意が政治的なものであったことが分かります。コーカーリヤは釈尊の後継者と目されるサーリプッタとモッガラーナを教団より追放し、デーバダッタらと共に教団の統率者になろうという野心をいだいたものと思われます。
そういう野心をいだく彼にとって、雨夜の二人の行動はまさに彼らを弾劾する絶好の口実と映じたに違いありません。好機到来とばかりに彼は二人を非難したことでしょう。しかし、彼らに向けたはずの悪口という斧は、思わぬことにコーカーリヤ自身に向かって切りつけ、彼の命を断ってしまいます。あまつさえ死後には紅蓮地獄に生まれ延々と続く苦痛を味わねばなりませんでした。
その苦痛はすべて彼自身の邪念や欲念から生じた結果です。邪念や欲念は正しい判断を奪い人を愚かにします。愚かな彼は愚かなことを語って自ら身を滅ぼしたのですが、この経典の恐ろしいところは、身を滅ぼすその斧が生まれながらにしてわれわれの口に生えていると述べていることです。
~大谷大学 HPより引用
このお話を、分かりやすくお話いただけた。そしてそのお話を聞いている自分がとても安心した気持ちになっている事に気付いた。
身延山そして久遠寺にお伺いするまで、この世の中と言うものは結局は正直者ばかりが損をする世の中なのではないか、と思ったりする事が多かった。
仕事もロクにしないで、人のうわさ話やくだらない話ばかりしている人が今私の周りには数名居る。そして、その人達がやるべき仕事を全て自分に押し付けられているような気になっていたことも大きい。そんな奴等は相手にしないことが一番と思いながらも、内心は腹立たしく、憎たらしいと思っていたことも事実。
けれども、私がこの事態に対処しなくても、そういった相手は自ずと自ら滅んでいくということを、この話を聞く事によって知ることが出来た。そういった相手は、自ら勝手に紅蓮地獄に陥るのだからと。
まぁ本来は、己自身が紅蓮地獄に陥らないように、という話なんだろうけれどもね(笑)
こういう考え方でも、その話を聞く事によってその人が救われるのであれば、それはそれで有益なんだということで。。。(ブラックですねー笑)
お説教に少額ながらもお布施をさせていただいて、祖師堂を後にした。
外に出ると、既にお日様が顔を出していた。
朝の人の少ない時間帯の久遠寺の空気はとても清々しいものがあった。
モヤモヤしていたことに答えが出たような、爽快な気分。
帰りは菩提梯を降ろうかとも思ったけれども
男坂から降って宿坊まで戻ることにした。
山道は誰も居ないことや、鳥達のさえずりが響いて、とてもスピリチュアルな空気感。
山道を歩いているだけで、とっても癒されている自分が居た。
三門近くに宮沢賢治の碑を発見した。
宮沢賢治は法華経に深く帰依していたという。
久遠寺での朝勤はいろいろな意味で、とても大きな気付きをいただけました。
どなたでも自由に参列出来るので、機会があれば参列されることをおすすめします。
これからだと、身延山ではしだれ桜が見られる良い時期ですしね。