次に目指したのは奥之院 思親閣。
徒歩で、と行きたいところだけれども、登りで2時間30分かかるということなので、ロープウェイ利用。
ロープウェイの久遠寺駅の近くには滝もあったりして、しばし和む。
そしてロープウェイ乗車。
徒歩2時間30分かかるところを、ロープウェイを利用すれば7分で山頂までたどり着くことが出来る。
ロープウェイには多くの人が乗車していたので、そのまま奥之院 思親閣にお伺いすると、大勢の人の中で参拝する格好となってしまうなぁ、と思った。
そうしたら七面山遥拝所という案内があったので、まずはそちらにお伺いすることにした。
七面山というのは
文永11年(1274年)に日蓮が開いた身延山久遠寺、また法華経を守護するとされる七面大明神(七面天女)を祀る信仰の山で、日蓮書状(「日蓮上人遺文」)にも記されており、日蓮の高弟である日朗が開いたといわれる。
各所に崩落が見られるため「ナナイタガレ」「オオガレ」とも呼ばれ、日蓮書状にも崩落の様子が記されている。
~Wikiより引用
という、七面大明神(七面天女)様という神様がいらっしゃるお山だったりする。
この七面大明神(七面天女)様という神様の存在を、私は今回こちらにお伺いするまで全く知らなかったのだけれども
日蓮は、身延に隠棲し、現在の思親閣がある身延山山頂に登り、亡き父母の墓のある房総の方を拝しては両親を偲んでいた。
建治3年(1277年)9月、身延山山頂から下山の道すがら、現在の妙石坊の高座石と呼ばれる大きな石に座り信者方に説法をしていた。その時、一人の妙齢の美しい女性が熱心に聴聞していた。「このあたりでは見かけない方であるが、一体だれであろうか」と、南部公をはじめ一緒に供をしていた人達はいぶかしく思った。
日蓮は、一同が不審に思っている気持ちに気付いた。読経や法話を拝聴するためにその若い娘が度々現れていたことを知っていた。その若い女性に向かって、「皆が不思議に思っています。あなたの本当の姿を皆に見せてあげなさい」と言った。
すると、女性は笑みを湛え「お水を少し賜りとう存じます」と答えると、日蓮は傍らにあった水差しの水を一滴、その婦人に落とした。すると今まで美しい姿をしていた婦人は、たちまち緋色の鮮やかな紅龍の姿に変じて仰った。
「私は七面山に住む七面大明神です。身延山の裏鬼門をおさえて、身延一帯を守っております。末法の時代に、法華経を修め広める方々を末代まで守護し、その苦しみを除き心の安らぎと満足を与えます」と。
そう言い終えるや否や、七面山山頂の方へと天高く飛んで行った。その場に居合わせた人々は、この光景を目の当たりにし随喜の涙を流して感激した。
~Wikiより引用
個人的には、紅龍というのがとても気になったりした。
七面山遥拝所
今回こちらにお招き頂いたことに感謝してお参りさせていただいた。
そして久遠寺奥之院 思親閣へ。
日蓮聖人立像
こちらではお線香があげられるので、私もお線香をあげさせていただき、こちらにお招きいただいたことに感謝してお参りさせていただいた。
そして思親閣を目指す。
ロープウェイで一緒に登ってきた人達が参拝を終えて階段を下るのと入れ替わるような格好で、境内に階段を登る。
階段の途中には日蓮聖人のお手植杉があった。
日蓮聖人お手植杉
そして手水舎で清めて
手水舎
仁王門を潜る。
仁王門
お守りされている方々にもご挨拶させていただき
思親閣祖師堂へ。
思親閣 祖師堂
“親を思うお堂”という意味で名付けられているそうで、お参りさせていただくと、とても暖かなものを感じることが出来た。
そして境内を散策する。
元政上人埋髪塚
釈迦像
常護堂
こちらの近くにも日蓮聖人お手植杉が。
そして寺務所で御朱印を頂戴した。
御朱印を書いていただいている間、一つのお守りが目に入った。
それは体調がすぐれない時などに、と書かれた、オブラート製のお守りだった。御朱印を書き終えた僧侶の方にこのお守りについて伺うと、このお守りの使い方について教えて下さった。
これは是非ともいただかなくては、とこちらのお守りも頂戴した(なんとなく、このお守りはブログにアップしない方が良いように感じるので、写真はご勘弁くださいまし)
そして、石段を降りたらおみくじがあったので、こちらでも引かせていただいたら、超久しぶりに大吉だった(笑)日頃おみくじは吉凶ではなーい、と言っているけれども、やはり私も人の子なので大吉を引くと素直に嬉しかったりする(笑)
奥之院 思親閣は、修行の雰囲気が漂っていた。
そして人の少ない早朝にお伺い出来たら、とても良い場所なんだろうなーとか思ってしまった。
もちろん日中でも、良いところなんですけどね。