今年の6月に江ノ島に行ってきた。けれども、江ノ島からほど近い鎌倉には沢山の神社仏閣があるにも関わらず、なかなか足が向かなかった。
昔、若い時に朝通勤途中に突然会社に行くのがイヤになって、途中下車して会社に具合が悪いと連絡をしてずる休みし、そのまま鎌倉に行ったことがある。その時に何故か神社仏閣に行く趣味も無かったのに、フラフラと鶴岡八幡宮に行って手水で清めていたら、観光ツアーの団体客が来て、その中の一人のおっさんから「一人で来てるなんて寂しいねー」と冗談半分で言われたことがあった。
その時は無視して過ごしたけれども、内心「てめえこそ団体でしか行動出来ないくせに」と思った。未だに覚えているということは、相当根に持っているらしい(笑)私は日本人だけれども、ずっと小さい頃から、日本人の「赤信号みんなで渡れば怖くない」的な、団体でつるんでいれば何をやっても良い、という感覚が好きではなかったこともあったし、見知らぬ赤の他人に対してもむやみやたらに干渉したがるところも気に入らなかった(そして現在も変わらぬままです♡)
このことがトラウマになって鎌倉には行けなかったというと大げさだけれども(笑)今回、2週間だけ鎌倉の長谷寺で夜間ライトアップがあると知って、意を決してというと大げさだけれども、人が多い三連休のど真ん中の日に鎌倉に行ってみたという訳でして。
朝9時過ぎというのに、鎌倉駅に降り立つと人が沢山居た。
昔の記憶を頼りに、鶴岡八幡宮を目指す。確か小町通りを歩いていけば良かったような気がしてずんずん進むと
朝9時台でこの盛況ぶり。
朝から買い食いしている人々を横目に歩いていくと鳥居が見えてきた。
鶴岡八幡宮
参道を歩いていると、不思議な気持ちに包まれた。
宇佐神宮そっくりだ、と。
空気感が宇佐神宮とそっくりで、そりゃ八幡様だから当たり前っちゃー当たり前なんだけれども、これは宇佐神宮にお伺いしていなくては気付かなかったことだよね、と一人勝手に納得しながら参道を歩く。
そして手水舎に差し掛かる。
●年前にお節介な言葉を吐かれた因縁の場所だわーナンテ思いながら、手水で清めた(笑)
手水舎
舞殿
そして本宮に参拝しようとしたところ、御朱印受付のテントを発見。
お参りした後に御朱印を頂戴するのが私の中の決まりだったけれども、朝9時台でもうこれだけの人が並んでいるのを見て、ここは御朱印をいただいてから参拝する方が賢明だと思い、御朱印の列に並ぶ。
実際参拝した後にこのテントの前を通りかかったら、列がこの時の倍以上に膨れ上がっていた。今本当に御朱印ってブームなんだなぁ、と改めて実感したりして。
10分位並んで御朱印が受けられたので、改めて参拝へ向かう。
大石段
狛犬さんたち
大石段左手には、大銀杏があったところにしめ縄がかけられていた。
樹齢1000年と言われていた大銀杏が倒伏してしまったのが、5年前。
けれども、残された蘖(ひこばえ)から新しい芽が育ち、現在では小さいながらもすくすくと育っている様子が見えた。
隋神門を潜り抜けて本宮でお参りさせていただいた(本宮の写真撮影は禁止なので写真は無しですー)
隋神門
その後おみくじを引かせていただく。
鳩みくじというおみくじもあるけれども、やはり神社に来たらシャカシャカ棒を振って御神託を仰ぎたくなるというのが心情というものでして。
今回私が鶴岡八幡宮で引いたおみくじは、なーんと凶だった(爆)
吉凶にこだわってはイケナイと思いつつ、ちょっとがっかりしながらも内容をじっくりと読んだら、これまた今の私の心情をズバリと当てられているものだったので、これまた驚愕の思いで一杯になった。
実際おみくじで「凶」と書かれていると、むさぼるように内容を読んでしまうのが人情だと思う。逆に吉や大吉だと、神様からのメッセージの部分をあまり読み込まずに、安心してしまうのが人間の愚かさというべきか。凶を引いたことで、自分の最近のあり方を考えさせられる部分も多いので、凶を引くことはかえって自分自身の為になるので、ラッキーだったりする。
自分に当てはめて言えば、最近ブログを書くのをサボっていた。サボっていたというよりは、ブログ自体続ける意味があるのかなぁ、と記事を書く前に手が止まっていたというのが正直なところだった。
何のためにブログを書いているのだろうか?という根本的なところに疑問を持っていては何も書けなくなってしまうというのも事実であって、これはブログを止めて新しいことを始めるなど、方向転換しなくてはならないのかなぁとぼんやり思っていたところに、おみくじを引いたら、自分の今の心境をずばりと言い当てられた。
今思えばつまらない話だけれども、ブログを書く時間というものを対費用効果という面で考えていた部分もあった。ブログを書く時間をもっと有益なことに使う~例えば英語の勉強をするとか、資格の取得の時間に充てるとか、そういうことをした方が良いのではないか?なんてことを頭の片隅でささやくもう一人の自分が居たりして。
そんな気持ちの中で引いたおみくじにはこう書かれていた。
雲に依って山はかくれても山の存在を疑うことは出来ない。
生きて行く目標は一層そうである。
山岳の様に不動の理想を肝の中に据えて下さい。
目の光、身近なものは大抵横雲である。
有益なことと言われることが、果たして誰にとって有益なんだろうか?と、このおみくじを読んで改めて自問自答したりした。
そもそも有益ということは、なんなんだろうか?と。
お金が沢山儲かることが有益なことなんだろうか?
自分がやりたくないことをやるというのが有益なことなんだろうか?
最初に自分がこのブログを始めたのも、神様や仏様など目に見えないことを信じるということの素晴らしさを伝えて、そして、その人に与えられた使命を全う出来るようにサポートできるようなブログになれば、なんて考えていたのではないかと。
そんなことを頭の中でぐるぐる考えながら、境内を再び歩き出した。
すぐそばにはお稲荷さんが鎮座していた。
丸山稲荷社
そして本宮近くに鎮座されている竹内社に参拝して、宝物殿へ¥200支払って見学した。
鶴岡八幡宮のご参拝のしおりというものを見たら、ちょっと離れたところに今宮というところがあるのを発見したので、そちらにお伺いすることにしたのでした。